母の営むスナックで私が学んだ「考える力」の本質 ホステス「こずえちゃん」が取り除いてくれた偏見
東洋経済オンライン / 2024年5月19日 11時40分
「あんたがこっそり渡したほうがこずえちゃんも喜ぶやろ」
母の助言を聞き、私は、少し遅れてお店に行くことにした。
扉の前で立ちすくんだ私
いつもなら迷うことなく扉を開ける。だが、思春期に差しかかっていた私には、お土産を渡すという行為が妙に大人びたものに感じられた。彼女にどう話しかけたらよいのだろう。私の体は棒のようにこわばった。
「こずえちゃん? こずえさん? 年上の人に『ちゃん』はおかしかよね」
5分だったか、10分だったか、答えが見つからず、私は、扉の前で立ちすくんでいた。すると、気配を察知したのか、突然ドアが開き、店のなかからこずえちゃんが話しかけてきた。
「英ちゃんやんね。なんばしよっと?」
面食らった私は、思わず、「どうぞ! こずえさん」と声をあげ、押しつけるように小さなお土産を突き出した。彼女は、一瞬、きょとんとした顔をし、その数秒後、こう言った。
「ママ、聞いたね? うちにお土産げな。聞いたね? 英ちゃんが、うちのことば、『こずえさん』って呼んだとよ。かわいかやんね。かわいかやんね」
大きな声に吸い寄せられるように彼女を見た。彼女は大粒の涙をこぼしていた。いまでも、目を閉じると、泣き笑いするこずえちゃんの姿が浮かんでくる。
私は、見た目や酒癖、そして職種といった、表面的な理由で彼女を「怖い人」と決めつけていた。酒に酔った彼女が歌い始めると、なんとなく気持ちがのらずに、店の外に出て、川べりをあてもなくさまよったりした。
実は、彼女は彼女で、私に近づこうとしなかった。子どものいなかった彼女も、ママの息子である小学生とどう接してよいのかわからなかったのかもしれない。
だけど、私の小さな贈り物は、彼女の心の壁を壊し、彼女の涙は、決めつけという名の<偏見>の存在を私に教えてくれた。このできごとがあってから、彼女は、私をまるで自分の子のように可愛がってくれるようになった。私もこずえちゃんが大好きになった。
店を去ったこずえちゃん
ところが、ほどなくして、こずえちゃんは店を去っていった。お客さんのキープしたお酒に、たびたび、手をつけたことが理由だった。客足が遠のいていったことを母はいつもぼやいていた。おそらく苦渋の決断だったのだと思う。
ただ、クビにはしたものの、母は、彼女のことをとても気にしていた。知人のお店に雇ってもらったと聞きつけると、私をその店に行かせ、彼女が元気かどうかを確かめさせた。彼女は新しいお店でも陽気に「夜汽車」を歌っていた。
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