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母の営むスナックで私が学んだ「考える力」の本質 ホステス「こずえちゃん」が取り除いてくれた偏見

東洋経済オンライン / 2024年5月19日 11時40分

いま思うと、母は、大酒飲みだったこずえちゃんの体を心配していたのかもしれない。

その予感は見事に的中した。

久しぶりに訪ねてみると、お店にいるはずのこずえちゃんがいない。ママさんの話では、昨日、今日と、お店に来ておらず、連絡がつかない、ということだった。話を聞いた母は、慌ただしく、こずえちゃんを知る仲間に電話をしはじめた。

ほどなくして、彼女はお酒の飲み過ぎで倒れてしまい、そのまま意識を失った、と知らされた。次の日、私は早退し、母と2人で病院を訪ねた。

カーテンの隙間からうっすらと光が差し込む部屋で、こずえちゃんはベッドに横たわっていた。

「こずえちゃん、起きてー。起きてー」

私は泣きながら叫んだ。返事はなかった。それから数日後、彼女は、ひとりぼっちでこの世を去った。

こずえちゃんがいなくなって、新しいホステスさんがやってきた。とてもきれいな人だった。

私が店を出入りするものだから、母は、男性客がホステスさんの体に触ることを忌み嫌っていた。だから、お客さんは、たいていが年配の落ち着いた人たちだった。

だが、一度だけこんなことがあった。母がお客さんのタバコを買いに行ったときだった。酒に酔った見慣れぬ客が、ここぞとばかりにホステスさんの体をベタベタと触りはじめた。

私は、さもしい痴漢を見るような気持ちだったが、彼女はなかなかの強者(つわもの)で、笑顔を浮かべながら、平然と男性をあしらっていた。

おぞましい表情で彼女は宙を見ていた

母が店に戻ってきた。母のことを知ってか、知らずか、男性客はそそくさと用を足そうと席を立った。私はホッとした気持ちになり、それとなくホステスさんに目をやった。

ほんの一瞬だったが、彼女の顔はひどく歪んでいた。絶望と憎悪が入り混じったような、思い出すのもはばかられるような、おぞましい表情で彼女は宙を見ていた。

笑顔と絶望。彼女は屈辱に耐えていたのだ、と思った。そして、こずえちゃんのことがすぐさま脳裏に浮かんだ。喜びの涙。死ぬほど酒を飲んだ彼女の生きづらさ。この相反するふたつの感情は、こずえちゃんという人間の表と裏だったのかもしれない。

私は、小学生時代を、スナックという濃密な空間のなかで過ごした。こずえちゃんとの出会いがなかったら、彼女が偏見を取り除いてくれなかったら、私は、ホステスさんの浮かべた表情の意味、いや、その表情を浮かべていた事実すら、見逃していたに違いない。

異なる価値観を持つ人間が出会うことの大切さ――新たな価値観との出会いは、同じできごとをまったく違ったものに変えてくれる。人との出会い、それは可能性との出会いだ。

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