現代アートが1980年代に「変わった」のはなぜか 「ビフォー1980」と「アフター1980」の違いとは
東洋経済オンライン / 2024年5月21日 18時0分
シャーマンは、映画の一場面みたいな既視感を伴いつつ、あるときは都会でバリバリ働くキャリアウーマンのように写るかと思えば、あるときは素朴な田舎の少女のような佇まいで写りました。
かと思えば、何かの事件に巻き込まれた女性のように写るときもあれば、また別のときは大学教授の秘書か何かのように写るのでした。シャーマンはその一連のシリーズを《アンタイトルド・フィルム・スチル》と名付け、1977年から80年にかけて制作しました。
《アンタイトルド・フィルム・スチル》に写された女性はすべてシャーマンではありましたが、一枚一枚の変わりぶりが激しすぎて、見る者はどれがほんとうのシャーマンなのか見極めがつかず戸惑いを覚えることになりました。
すべての写真のモデルはシャーマン本人には違いなかったので、どれもシャーマンとはいえましたが、同時に逆に、どれが真実かわからないので、どれも本物のシャーマンではないということもできました。
真実と虚構の区別がつきませんでした。つまり、シャーマンが扮したのは「誰でもあって、誰でもない私」としかいいようのない何とも不思議な人物像なのでした。
不確実性の時代を生きる人々の心に響いた
この作品は大きなインパクトをもたらしました。真の「私」はどこにいるのか。全部で70枚もの写真がありながら、どこまで行っても確信が持てない「空洞化した私」しか見出せないという虚構感が作品には漂っていました。それは確かなものの手応えがない時代にふさわしい表現というべきもので、不確実性の時代を生きる人々の心に響きました。
「誰でもあって、誰でもない私」、それでも存在している「私」とはいったい何なのか。そのありさまは、アイデンティティを見失いつつあった人々自身のあり方とオーバーラップしたのです。
哲学者のジャン・ボードリヤールは、1981年の著作『シミュラークルとシミュレーション』において、人々がそういう虚構感に苛まれるのは世界がシミュラークルによってかたちづくられるようになったからだと主張しました。ボードリヤールのいう「シミュラークル」とは、「オリジナルなきコピー」とでもいう概念です。
本来コピーにはオリジナルがあるはずです。オリジナルという〝本物〟があって初めて、コピーという〝複製〟が生まれるはずなのですが、ボードリヤールによれば、オリジナルなくしてコピーだけが突然出現するという奇妙なことが起こっており、それを彼はシミュラークルと呼びました。そして、シミュラークルの飽和によって虚構が現実に先行するようになっており、現実の世界が無意味化していると説きました。
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