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「ざま見やがれ」強気な建築家・前川國男の驚く偉業 コンペに落ちた若手が「巨匠」と呼ばれるまで

東洋経済オンライン / 2024年5月30日 15時0分

近代建築の巨匠・前川國男が手がけた東京都美術館(写真:いお/PIXTA)

「前川國男」といえば、日本を代表する建築家の一人です。「打ち込みタイル」という工法を生み出したことでも知られており、日本の建築界に多大なる影響を与えました。モダニズム建築の巨匠・前川とはどのような人物だったのか。新著『教養としての西洋建築』を上梓した建築家であり国士舘大学名誉教授の国広ジョージ氏が、前川の建築家人生について解説します。

日本の建築史に名を残した伊東忠太

日本におけるモダニズム建築の歴史を振り返っておきましょう。モダニズムと保守派の対立は、しばしばコンペの場で顕在化します。アドルフ・ロースが強烈な皮肉でゴシック様式に抵抗したシカゴ・トリビューン本社ビルもそうでしたし、ル・コルビュジェを排除した国際連盟本部ビルもそうでした。

じつは日本でも、1930年(昭和5年)にそれと同じような「事件」が起きています。募集されたのは、関東大震災で被害を受けた「東京帝室博物館本館」(現在の東京国立博物館本館)の建て直し計画案。コンペを主催した宮内省は、募集規定で「日本趣味を基調とする東洋式とすること」としていました。

このコンペの審査員長は、伊東忠太です。日本の建築界で「西洋建築を学ぶだけでいいのか」という機運が生じたときに、日本建築のルーツはギリシャ建築だと主張する「法隆寺建築論」を書いた人物。その後、伊東は日本や東洋の建築史を体系的に研究しました。

平安神宮、明治神宮、築地本願寺など寺社の設計でも知られています。西洋建築の手法に基づきながら新しい日本建築を生み出すことを考えていた建築家ですから、このコンペが「日本趣味」を求めたのは、彼の意向によるところが大きいでしょう。

このコンペ規定には、近代建築を推進するグループからの反発もありました。応募を拒否する運動も起きています。それもあって、応募案のほとんどは「帝冠様式」と呼ばれるものになりました。

近代的な鉄筋コンクリートのビルに、日本風の瓦屋根をかぶせるスタイルです。現在の東京国立博物館本館を見ればわかるとおり、コンペで採用された渡辺仁(1887~1973)の原案もまさにそれでした。

しかしこのコンペに、「日本趣味」でも「東洋式」でもないモダニズムのデザイン案を落選覚悟の上で応募した若き建築家がいます。落選が決まった後、彼は『負ければ賊軍』という過激なタイトルの文章を雑誌に書き、「態(ざま)見やがれ!」などとコンペの審査員を挑発しました。

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