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「なるようになる」がチャンスを引き寄せる必然 ばんばひろふみさんが言った「結果はひとつ」

東洋経済オンライン / 2024年5月30日 19時0分

だとすれば、なにをすべきでしょうか?

少なくとも僕は「なるようになる」というところに可能性を期待します。高校生だったあのときもそうでした。

もちろんそれは、他のことがらにもあてはまります。

たとえ日常のほんの小さなことであったとしても、「ああ、困った。どう考えても無理だ。どうしよう」というような局面を強いられたときには、「なるようになる」と考えるわけです。そして経験値からいえば、多くの場合はそう考えていたほうがうまくいくものです。

「なるようになる」は、「なるべき必然的な結果に落ち着く」ということです。要するに「望みどおりになるかもしれないけれど、ならないかもしれない」ということです。

言い方を変えれば、行き着く先が望んでいなかったところだったとしても、それこそが「なるようになった」結果であるわけです。

そう考えれば、たとえ望んでいたものとは違った結果だったとしても、「なるほど、これが『なるようになる』ということだったんだな。つまり"必然"だったんだな」と割り切ることができるのではないでしょうか?

僕自身も何度もそう感じたことがありますが、そうやって目の前の結果を必然として受け止めれば、悔しさや悲しさはあまり感じないはず。なぜって、繰り返しになりますけれど、それは"必然"なのですから。

必然とは、必ずそうなると決まっていることを意味します。いわば、そこに行き着いたということは"そういうものだった〞ということなのです。

苦しんでも楽しんでも結果はひとつ

一緒にアメリカを旅したばんばひろふみさんには、それからもかわいがっていただきました。なにしろ僕は彼から見て「いちばん心配」な人間だったのです。「馬鹿な子ほどかわいい」ということわざがありますが、まさにそれだったかも。

ともあれそんなわけで、帰国後もばんばさんは僕にとって兄貴のような存在となったのでした。そして僕はなにかに悩むたび、ちょくちょく相談をしていました。いま思えば、それに付き合わされるばんばさんはたまったもんじゃなかっただろうなあ。

ひとつ覚えていることがあります。いつものようになにかに悩み、電話をかけて相談したときのこと。あのときは、「これからどうやって生きていったらいいんだろう?」というような、青春時代にありがちなことで悩んでいたのだと思います。

そんなことを相談されたって、答えようがないですよね。

でもそのとき、ばんばさんはこう話してくれたのです。

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