1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

業界騒然「豆腐バー」異例のヒットになった道筋 創業52年のメーカーが新基軸を開発できた理由

東洋経済オンライン / 2024年5月31日 7時0分

豆腐バーの開発を先導したアサヒコの池田未央社長(撮影:今井康一)

コンビニやスーパーで見かけるスティック型の「豆腐バー」。昆布やバジル風味など味のバリエーションの豊かさや、片手で気軽に食べられるという斬新なアイデアが受け、2020年11月に発売以降、今年4月までに6400万本を販売したヒット商品だ。

【写真で見る】豆腐バーには「バジルソルト風味」や「焦がし醤油」などさまざまな風味がある。最近は豆腐で作った「杏仁豆腐」や「プリン」も人気

開発したのは、スーパーでもお馴染みの豆腐の「大山阿夫利」や油揚げの「昔あげ」を手がける創業50余年のアサヒコ。豆腐バーの開発を先導した池田未央社長は今やメディアに引っ張りだこだが、本稿では改めてアサヒコが豆腐バーを開発できた理由を考えてみたい。

「業界初」の技術や発想が多い

1つ目の理由は、アサヒコが豆腐メーカーのパイオニアで高い技術力を持っていたことだ。同社の前身は1972年、埼玉県で西友が西武化学工業肥料部と協力し設立した朝日食品だ。スーパーが次々にできた時代で、品質が安定した豆腐を大量に卸す必要が生まれていた。

実は、朝日食品は業界初が多い。まず賞味期限が長い充填豆腐を開発し、1999年には手のひらサイズの2連豆腐を考案し大ヒットさせる。2000年には無菌システムなどを使い、賞味期限60日の豆腐を発売。こうした技術力があるからこそ、未知の領域に踏み込むことができたのだろう。

2つ目の理由は、海外で得た知見である。2018年にマーケティング部長として入社した、池田未央現社長がアメリカに視察に訪れた際、店頭で見たのが肉の代用品としても食べられる硬い豆腐だった。

日本では、豆腐の購買中心層が中高年女性に高齢化している。しかし、肉のように食べられる硬い豆腐なら若い世代にもウケそう、と「帰国後に提案しましたが、職人さんたちに『水をたくさん含み、つるんと食べられるのが日本の豆腐だ』と受け入れてもらえませんでした」と池田社長は話す。

1人で試作を繰り返し、セブン₋イレブンに持ち込むと好感触を得た。報告を聞いた社員たちはやる気を発揮し、構想から約2年で豆腐バーの発売にこぎつける。豆乳とニガリの結合を企業秘密の製法で緩め、水分が9割を占める豆腐よりさらに水分量を1割絞った。

菓子業界から豆腐業界に転身

豆腐業界の常識を破る挑戦ができたのは、3つ目の要因による。池田社長は、門外漢だったのだ。長年菓子業界で企画に携わり、「お菓子は食べ尽くしたな、と思っていたら、豆腐メーカーが人を探している、と誘われたんです」と振り返る。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください