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大河や映画話題「安倍晴明」伝説と現実のギャップ 数々の作品、令和の今でもファンが多い背景

東洋経済オンライン / 2024年6月1日 9時0分

『金烏玉兎集』に興味を持って、勉強し始めたのは、「安倍の童子」こと安倍晴明だったのです。

『物語』によると、晴明の母は狐だったとされます。しかもたんなる狐ではなく、信太明神の化身。晴明は「神の子」であったというのです。晴明が『金烏玉兎集』という秘伝書を読みこなし、陰陽道を習得できたのも「神の子」であったからでしょう。

さて『物語』には、こんなエピソードも描かれています。晴明は、村上天皇の病の要因を、カラスが話す噂話を理解したことにより突き止めるのです。その功により、晴明は陰陽寮トップである陰陽頭(おんようのかみ)に抜擢されたばかりか、易暦博士および縫殿頭の官職に任命されました。やっと真備から仲麻呂への恩返しが、果たされたと言えましょう。

ところで、江戸時代前期に成立した『物語』は、晴明の母を神の化身の狐としていました。

もちろん、これは虚構であり、「物語」にすぎないでしょう。その一方で、中世後期には、晴明を狐の子とする逸話も生まれていました。いや、母が狐どころか、父も母もいない、化生の者(化け物)との噂も、庶民の間で広がっていたのです。

それは先ほどのエピソードにもあったとおり、晴明が鳥獣が語る言葉を理解し、天皇を苦しめる病の根源(霊の祟り)を治すという、特殊能力の使い手と見られていたからこそ、だったと思われます。

しかし当然ですが、現実の晴明は化け物ではなく、人間です。父も母もいたのです。

晴明の父は『尊卑分脈』(室町時代に編纂された系図集)「安倍氏系図」によると、安倍益材(ますき)だとされます。母親についての記載はありません。

晴明の父・益材は「大膳大夫(おおかしわでのかみ)」だったと言われています。大膳職(宮内省の管轄。宮中の官人の食事や朝廷での会食の調理を担当)の長官だったのです。つまり、陰陽師ではありませんでした。晴明の先祖も、陰陽師ではなかったのです。

晴明の陰陽師としての活躍は『今昔物語集』(平安時代末に成立した説話集)などにも掲載されていますが、それはあくまで物語集に記載されたものです。

実際の陰陽師の仕事内容

『本朝世紀』という平安時代末に編纂された歴史書には、晴明について次のように記されています。「正統朝臣の左大臣に申して陰陽師晴明を召して政始の日時勘文を進めしむ」と。これが史書に晴明が登場した最初の記述だと言われています。康保4年(967)6月23日の項目です。晴明はすでに47歳でした。

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