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のと鉄道「全線運行再開」では喜べない現地の実態 鉄道を取り巻く地域の復興はまだ見えない

東洋経済オンライン / 2024年6月4日 6時30分

「がんばろう能登」のヘッドマークを付けて走るのと鉄道の車両(筆者撮影)

元日に発生した「令和6年能登半島地震」によって、当初、鉄道だけでなく道路、空港、港湾も大きな被害を受け、能登半島全域の交通が滞った。七尾―穴水間33.1kmを運行するのと鉄道も2カ所の崖崩れをはじめ線路や鉄道施設各所に被害を受け、運休を余儀なくされた。

【写真を17枚を見る】「がんばろう能登」のヘッドマークを付けたのと鉄道の車両。沿線や駅に残る地震の爪痕で被害の大きさがわかる

関係者の必死の努力により、2月15日に能登中島駅まで再開。4月6日には穴水駅までの全線で運行できるようになった。出発式の後、穴水駅では「がんばろう能登」のヘッドマークを付けた車両を皆が手を振って見送り、目頭を押さえる人も多かったという。

【写真】「がんばろう能登」のヘッドマークを付けたのと鉄道の車両。沿線や駅に残る地震の爪痕で被害の大きさがわかる(10枚以上)

新学期に間に合うが、よく見ると被害が随所に

4月中旬には「能登さくら駅」とも呼ばれる能登鹿島駅ホームのソメイヨシノも満開になり、春の訪れ、能登復興の兆しを象徴する光景が報道された。なにより、毎日定時運行する鉄道の姿に、能登の人々は希望を見て元気づけられている。

しかし、5月7日に訪ねたのと鉄道旅行センター所長の山崎研一さんは「みなさんに『のと鉄道の再開おめでとう』と言われるのだが、うれしい気持ちにはなれない」と言う。

地方鉄道にとって、高校生の通学定期利用は重要な収入源。始業式・入学式を前にした4月6日に運転再開できたことは大きな意味をもつ。その日を迎えられたのは、鉄道の工事部隊を投入して一気に進められたからだという。

「それでなければ、この圧倒的に人手が足りない中では復旧の見通しは立ちませんでした。しかしそれも、運行できる最低限の工事と乗降に危険のない範囲までの復旧です」

穴水駅構内を指さされるままに見ると、そこここに段差や傾きなど地震の爪痕が残っていた。駅に隣接した木造2階建てののと鉄道本社屋は半壊で、使用不能だ。のと鉄道再開の報道を見て元に戻ったようなイメージでいたが、それが幻想だった事実を突きつけられた。

鉄道を取り巻く地域の再開はまだ見えない

しかし、山崎さんが喜べないと言うのは、のと鉄道内部のことではない。鉄道沿線、さらに能登全体が復興にはほど遠いのだ。

「私は、のと鉄道でも直接鉄道の運行や保守にかかわっているのではなく、団体客の誘致やイベントの企画・実施、そのためのマーケティングやブランディングが仕事です。2008年にはのと鉄道の団体利用は約4800人だけでしたが、私が入社した翌年には1万500人。貸切列車の運行や車内でのガイド、観光列車『のと里山里海号』の運行など次々進め、2015年には6万7800人まで伸びました。のと鉄道に乗車してもらうだけでは七尾―穴水間片道850円ですが、食事をすれば千円単位、宿泊すれば万円単位の消費が発生します。鉄道会社は単体ではなく、地域に経済波及効果をもたらしてこそ価値があるのです。でも今まだその地域のほうが、再開の見通しが立たないのです」

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