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生物学者が歳をとってわかった「人生の意味」 人間にとって「自我」こそ唯一無二のものである

東洋経済オンライン / 2024年6月6日 18時0分

そして人間も、環境に自分を合わせるのではなく、自分にとって都合のいい環境を選んで結果的に「適応」したようになるほうが生物として自然なのではないか、というふうに私は考えている。私はこれを「能動的適応」と呼んでいる。

コロナ禍のときに気づいた人も多いだろうが、会社のルールに縛られて働くよりも、自分の働きやすいところで働くことが生物としての本性に合っている。リモートで会社の業務がしっかりこなせるのなら、無理に定時出勤する必要はないだろう。

逆に他の人と直接会って会話などをしないと、仕事をしている気にならないという人もいる。

どちらも好きなように選ぶことができて、「ずっとリモートでもOK」「会社に立ち寄らず外回りだけをしていてもいい」というように、いろいろな仕事のやり方を選ぶことのできる会社が増えれば、徐々に日本の社会も変わっていくのではないだろうか。

自分の個性に合わせて能動的に適応するのが、生物としては正しい生き方なのだ。

「人生に生きる意味なんかない」ことに気がついた

極論を言えば、人生には生きる意味はない。ネガティブな思想のように聞こえるかもしれないが、これはきわめてポジティブな思想である。

「生きる意味」というものは「生きる目的」とセットになっていて、このことばかりに気を取られてしまうと、何か特別な目的が見つからないと生きることがつらくなり、周囲と自分を比べることが増えて孤独になり、最悪の場合は自殺に至ったりもする。

昆虫学者のジャン・アンリ・ファーブルは再婚相手との間で、64歳、66歳、71歳にして子宝に恵まれたという。

そんなファーブルの年齢を超えた今、71歳で子どもをつくることの意味がわかるようになったかというと、やはりよくわからない。肉体的な老化については身に染みてわかるようになったが、それ以外には、歳を取ったからといってわかるようになることはあまりない。

だが、そんななかでもよくわかったのが「人生に生きる意味なんかない」ということだった。若い頃は、頭に余力があって余計なことを考えることもできるから「人生の意味」などということも考えたくなるが、心を虚しくして見てみれば、人生に意味などないのは当然のことのように感じる。

そもそも悠久の宇宙の歴史から見たときに、人類の生存や繁殖などはあまりにもちっぽけで、そのこと自体からしても何か意味があるようには思えない。

「人生に生きる意味などない」ということがしみじみと腑に落ちてから、私は死ぬことがあまり怖くなくなった。私は若い頃から、完膚なきまでの無神論者で宗教に魅力を感じたことは一度もない。宗教を信じる人というは、結局のところ、死ぬのが怖いのだと思う。

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