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現代アート「1980年代」「1990年代」圧倒的な違い 現代アートの文脈を見出すことが難しくなった

東洋経済オンライン / 2024年6月6日 15時0分

地域間の偏見を排し、文化的差異を超克していこうとする動きはその後も続き、1つの結実を見せたのが1997年の第2回ヨハネスブルグ・ビエンナーレといわれています。ナイジェリア出身のキュレーター、オクウィ・エンヴェゾーがポストコロニアル(脱植民地主義)的アプローチで企画を練り上げました。

かつての宗主国たる旧帝国と植民地たる途上国の関係性を、強者と弱者、加害者と被害者という一方通行の関係で捉えるのではなく、植民地側もじつは宗主国に大きな影響を及ぼしており、相互的な文化の混ざり合い、衝突によって、宗主国とも植民地とも異なる第3の空間が生じたとするホミ・K・バーバの理論を援用しつつ、新しく生まれた文化を肯定的に捉え、ハイブリッドな性格の作品を数多く展示して高く評価されました。

なお、エンヴェゾーは2013年のベネチア・ビエンナーレのディレクターにも選ばれています。ベネチア・ビエンナーレのディレクターにアフリカ出身者が就いたのはそれが初めてでした。

マルチカルチュラリズムやポストコロニアリズムの動きは人々の関心を「中央」から「辺縁」へと分散させ、アートにおいても「主流」や「傍流」といった言い方が次第に意味を成さなくなっていきます。

1990年代に起きた「変化」

1990年頃になると、現代アートの文脈を見出すこと自体が難しくなります。全体を覆うような傾向は希薄となり、個別の活動があちこちで断片的に見られる印象が強くなるのです。

それは、1つの求心力で全体を統べるということができなくなり、結果として分散的ですべてが辺縁的になったことの現れだったでしょう。何らかのストリームとしてのアートの様式や派、グループといったものを分類分析しようとすることは困難でもはや意味のない試みとなっていきました。

もっとも、そういう中でも画期となったものはありました。「エッセンシャル・ペインティング」展(2006年、国立国際美術館)にノミネートされた画家たちは、現代アートのテーゼだった「アヴァンギャルドであること」に大した興味を抱こうとはせず、もっぱらプライベートな関心で作品を制作しました。

マルレーネ・デュマス、リュック・タイマンス、アレックス・カッツ、ピーター・ドイグ、ヴィルヘルム・サスナル、セシリー・ブラウンといった面々です。展覧会の趣旨説明で彼らは「前衛に対するこだわりからは解放されて」いると紹介されました。それはまさに現代アートのニュータイプ宣言でした。

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