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任天堂の岩田社長が「転職面接」で私に語った未来 「落ち目」と言われた任天堂に転職を決意した訳

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 9時0分

当時社長だった岩田聡氏が、レジー・フィサメィ氏に対して話したビジョンとは?(撮影:今井康一)

アメリカ任天堂社長となり、ゲーム業界の歴史において最も強力な人物の1人となったレジー・フィサメィ氏。5月22日、彼の35年間の人生とビジネス哲学をまとめた『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』が発売した。

今回は本書より、順調に進んでいた任天堂への転職が急転直下しそうになったその舞台裏と当時社長だった岩田聡氏とのやりとりを書籍より一部抜粋のうえ、再構成してお届けする(任天堂への転職に至る前回のエピソードはこちら)。

岩田社長との型破りな面談要求

ところが私の採用は、再び暗礁に乗り上げた。私なりにリサーチしてリクルートされる過程の中で、私は京都にある任天堂株式会社(NCL)の重役と強固な関係が必要になると気づいた。最も大事なのは、2002年5月にグローバル・プレジデントに任命された岩田聡氏との関係だ。

【書籍】アメリカ任天堂元社長による奮闘ストーリーとビジネス哲学が凝縮のノンフィクション『崖っぷちだったアメリカ任天堂を復活させた男』

数年後に知ったのだが、これがNCLとNOAで大きな問題になっていたようだ。「あいつは何様のつもりなんだ。そんな要求は聞いたことがない! レジーとかに会うよりも我が社のグローバル・プレジデントにはやるべきことがもっとある!」。

任天堂のカルチャーを十分理解している今だからこそわかるのだが、自分の要求は型破りもいいところだった。傲慢にすら映っただろう。

だがセールスとマーケティングを効率的に主導するためには、会社の方向性とそのリーダーシップを信頼する必要があった。自分勝手ではあったが、自分が任天堂で成功できるという確証も欲しかった。

なにせハイリスクな役回りだ。困難な時期にある会社に入ろうかというのだから。

岩田氏とのビデオ会議は30分用意されたが、それを大幅に超えた。部屋には通訳がいるだろうと思っていたが、彼が1人だった。おかげで面接はより距離が縮まったものになり、彼がカメラを操作しズームインの状態にしたおかげで、テーブルで差し向かいになっているように見えた。

岩田氏との面談で確信したこと

まず岩田氏から、私を何と呼べばいいのか聞かれた。

「ミスター・イワタ、レジーと呼んでください」

「ミスター・イワタ、ソニーとマイクロソフトのシステムをどうお考えですか」

「レジー、任天堂は他の会社を理解しようと努めながら、独自のアプローチを取ることにしている。私たちは新たな体験を生み出し、独自のゲームを作っているんだ」

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