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沈む日本、いま必要なのは「団塊ジュニアの反抗」だ 「物価高で定額減税」の矛盾を無視していいのか

東洋経済オンライン / 2024年6月9日 8時30分

論理で説明がつかない、結果が出せないのなら、残された方法は1つしかない。国民にダイレクトにお金をバラまき、力ずくで消費を増やすことだ。

大胆な財政出動を正当化するMMTがあちこちで語られるようになり、コロナ以降、現金給付が当たり前のように行われるようになった。

そしていま、物価を下げなければならないこの局面で、政府は、所得税の減税という「景気刺激策」を行おうとしている。

三重苦のイギリスで、首相が国民に語りかけたこと

1976年のことだ。当時のイギリスは、オイルショックの後遺症である不況、国際収支の赤字、そして物価高の三重苦に苦しめられていたが、ときの首相J・キャラハンは次のように国民に語りかけた。

「私たちはかつて、減税と政府支出の拡大によって不況を脱し、雇用を増やせると考えていた。包み隠さずに話そう。そのような選択肢はもはや存在しないのだ」

キャラハンは、インフレ下の景気刺激策はありえない、思いきって新しい政策を考えようではないか、そう国民に呼びかけた。そして、のちの「サッチャー革命」に続く政策へと舵を切り、1990年代の高成長時代へのきっかけを作った。

私自身は、彼らの政策を正しいものだとは思っていない。だが、当時の政治家は、自分たちなりに現実を直視し、あるべき政策の姿を懸命に考えていた。

いまの日本はどうか。目先の物価高に心を奪われ、そのために論理的に矛盾した政策が公然と行われようとしている。バラマキが当然視され、インフレに歯止めがかからなくなったとき、私たちは先進国から脱落することになるだろう。

過去の30年を見ればわかるように、私はかつてのような経済成長を実現するのは難しいと思っている。

他の先進国並みの成長を実現する方法を考えるのは当たり前だ。だが、本当の核心は、成長に依存せずとも暮らしていけるよう、財政の生活保障機能を強めていくことではないだろうか。

私たちは医療や介護、教育費の負担におびえ、なけなしのお金を蓄えて、将来不安に備えようとしている。そのような社会で消費が伸びるわけがないし、わずかな減税など焼け石に水でしかない。

日々の暮らしに追われる私たちが<脱・成長>を実現するのは大変だ。だが、生活保障を強め、<脱・成長依存>への努力を重ねれば、将来不安から人びとが解放され、経済成長もいまより高い軌道を描くことになる。

もちろん、新たな財政システムを議論する以上、財源問題から目をそらすべきでないことはいうまでもない。

団塊ジュニア世代に課せられた使命

私たち団塊ジュニア世代は、時代に嫌われた被害者だった。だが、被害者だからといって、働き盛りである私たちが事態を放置してしまえば、今度は歴史の加害者になってしまう。目前の火事に気づき、それを放置することは、罪を犯すに等しい。

私たち世代はさまざまな苦しみに耐えてきた。だが、その結果として、生活防衛に走ってしまい、少子高齢化を加速させてしまった。

そんな私たちだからこそ、いまの将来不安の根元がどこにあるのかをよく知っている。だからこそ、私たちは、日本社会の未来を本気で構想する責任を負っているのではないか。

団塊ジュニア世代が次世代に責任転嫁することなく、きびしい現実のなかで立ちあがれるかどうか。そこにこの国の不沈がかかっていると私は思う。

井手 英策:慶應義塾大学経済学部教授

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