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専門家が「専門外」についても語る社会は健全か 「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得

東洋経済オンライン / 2024年6月11日 13時0分

元々の発信者は災害時にためた水でトイレを流すことの危険を訴えていたようなので、そうなると大学の先生よりメーカーの技術者のほうが専門家としては詳しいかもしれない。ただそういう方々は業務上論文を書かないこともあり、「専門家の論文がほしい!」と素人が叫んでも、そんなもの世の中に存在しない可能性すらある。

コロナ禍にせよ、解決がめざされる困難な社会課題は、たとえば医学者、疫学者、医療者、経済学者、公共政策学者など、それぞれのプロが集まって、慎重な合議のうえで意思決定する必要があったはずだった。専門知は集合知なのだ。ただ一般的には、どこかに存在するたった1人の専門家のたった1本の論文が日常のお悩みに答えを与えてくれる、それが専門家の使い方だ、と思われつつある。はっきり言って、危険な誤解である。

研究者の能力を世の中に還元するために

そもそも研究者が有する能力には、特別な観察力、分析力、表現力が含まれる。論文やエビデンスの産出のために思考し、少なくとも一般人よりは精緻に仮説や主張を打ち出すことができるだけのトレーニングを、研究者は日々行っている。そういった意味で研究者は「知」の専門家なのであり、分野をとやかく区切るのみならず広いスコープをもってよい。研究者は素人に専門知を供出してくれる「専門知の自販機」なのでなく、知そのものの専門家だとして、社会でもリスペクトされるようになってほしいと願う。

これは別に研究者の言うことなら正しいと思えということではなく、専門が狭くなりすぎた研究者が少しでも世の中で役立つ機会を増やせるように、という思いからの提案でもある。ファミレスのうなぎが駄目だと言うよりも、旨いうなぎ屋は中華料理を作らせても美味しいんだよ、と言えるほうがはるかに建設的ではないだろうか。

舟津 昌平:経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

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