道長の甥「藤原隆家」天皇に放った"驚愕の一言" いったい何があったのか?道長との逸話も紹介
東洋経済オンライン / 2024年6月15日 7時50分
『大鏡』には、隆家と藤原道長の逸話も書かれています。
それは道長の賀茂詣でに、隆家が供をしたときのことでした。隆家は、遠慮しているのか、道長の遥か後ろに下がって、供をしていたようです。
それを気の毒に思った道長が、隆家を自分の車に乗せてやり、道中でさまざまな話をします。
その会話の中で道長は、伊周と隆家配流の一件に自分は関わっていないと弁明します。
「配流のことは、私が差配したように世間では言っている。そなたも、そう思っていたことであろう。しかし、そうではないのだ。宣旨(天皇の命令)にないことを、私が一言でも付け加えていたならば、今日こうして、先祖のお社に参詣することができるだろうか」と道長は主張したそうです。
隆家は道長のその姿に、顔を上げられず、とても苦しい思いをしたといいます。
『大鏡』は、道長がそのように言ったのも「この殿」(隆家)だったからだと記します。「伊周にはそのようなことは言わない」とも書いています。
多くの人の注目を浴びる中で、隆家を自らの車に乗せ、配流の一件に関する自身の不関与を弁明する道長の行為は、隆家の不満を和らげる効果があったことでしょう。また人々に道長の器の大きさを見せつける役割も果たしたことでしょう(なお、この逸話は虚構だとする見解もあります)。
この逸話以外にも、道長と隆家のエピソードがあります。
ある日のこと、道長は邸で「御遊」の催しをしていました。道長は「このようなときに(隆家が)いないのは、寂しいものだ」と言って、隆家に招待状を送ります。
その頃の隆家は、やむをえない場合にのみ外出するだけで、かつてのように幅広い交友関係を持つことはありませんでした。
さて、道長の邸での宴会は大盛り上がり。酒がすすんだこともあり、人々は酔って、衣の紐を解きます。
そこに隆家がやって来たので、皆が急に改まり、居住いを正し始めました。それを見た道長が隆家に「まずは、紐を解いてはどうか。興が醒めてしまう」と声をかけました。
恐縮しながらも、躊躇している隆家。そこに藤原公信が「私が解いてあげよう」といきなり後ろから隆家の衣の紐を解こうとしたのです。
すると、隆家は急に不機嫌になり「この隆家、不運でこそあれ、貴公に馬鹿な真似をされるような身ではない」と怒ってしまったのでした。
周囲の人々も、まさかの事態に顔色を変えます。民部卿(源俊賢)などはびっくりして、(さぁ、一大事。とんでもないことになるぞと)上目を使い、皆の顔を見回していました。
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