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道長の甥「藤原隆家」天皇に放った"驚愕の一言" いったい何があったのか?道長との逸話も紹介

東洋経済オンライン / 2024年6月15日 7時50分

そこに割って入ったのが、道長でした。道長は笑いつつ「今日はそのような冗談はやめるのだ。この道長が紐を解こう」と言い、隆家の側に寄って、紐を解いたのでした。

隆家は「これこそ、あるべき姿」と機嫌を直し、酒盃を重ねます。その隆家の様子を、道長も嬉しそうに見ていたのでした。

この逸話は、隆家のありのままの感情で動く姿と、臨機応変に物事に上手く対処する道長の賢明さを表していると言えるでしょう。

ライバル関係にあった道長と隆家

隆家がまるで道長に籠絡されたかのような逸話が『大鏡』にはありますが、隆家は道長のライバルでもありました。

中関白家(関白・藤原道隆を祖とする一族)にとって、一条天皇と皇后・定子(道隆の長女)の間に生まれた敦康親王は期待の星でした。

隆家は、敦康親王が皇太子に立てられることを望んでいました。道隆の死、そして定子の崩御。悲劇と衰退に見舞われた中関白家の劣勢を回復するのは、敦康親王だと期待をかけていたのです。

『大鏡』にも、隆家は、敦康親王に望みをかけていたと記されています。親王が立太子(皇太子の地位に就くこと)されるのを念願していたのです。

隆家はそのような想いを抱く中で、一条天皇が重態になったときに、御前に参上して一条天皇のご意向を伺います。

しかし、天皇は、敦康親王の立太子を拒みました。結果的に、有力な後見人がいないということで、親王の立太子は実現しなかったのです。

その代わりに皇太子に定まったのは、道長の外孫・敦成親王(のちの後一条天皇。母は道長の娘・彰子)でした。

一条天皇の言葉を聞いた隆家の一言

注目すべきは「敦康親王の立太子はできない」という一条天皇の言葉を聞いた隆家の想いです。

『大鏡』によると、隆家はこのとき「人非人が」と嘆声を発したとされます。隆家の激情が読み取れますが、天皇に対して「人でなし」とは余りにも恐ろしい言葉です。

世間では「敦康親王が即位して、隆家が政治を補佐したなら、天下はよく治まるだろう」(『大鏡』)との声もあったようです。隆家は後に太宰府において善政を施したと言われますが、果たして、天下の政も上手く捌けたのでしょうか。

(主要参考・引用文献一覧)

・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・繁田信一『殴り合う貴族たち』(KADOKAWA、2008)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

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