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「ガンダム」生みの親が語る日本エンタメ史の裏側 安彦良和氏が驚愕した才能、原作のアニメ化に思うこと

東洋経済オンライン / 2024年6月15日 11時0分

ガンダムのときも、テレビ放送の視聴率が取れないなどのネックはあったが、目指したのは「ヤマトモデル」。作品自体は女性向けとは言えなかったが、ファンとして目立っていたのは女性だった。

――「ヤマトモデル」を踏襲するのに必要なこととは。

敵役の男性が(「宇宙戦艦ヤマト」に登場する)デスラー総統のような美形キャラであること。そこにミーハー的な人気が出る。「ヤマト」の場合は、たまたまそういうデザインだっただけだが、次第にあざとく狙うようになった。

ガンダムも、シャアは最初から美形という設定だった。僕はへそ曲がりだから、あえてマスクで顔を隠した。すると富野由悠季監督が第2話の演出でさっさとシャアのマスクを取ってしまう。焦って顔を考えることになった。

アニメから離れて漫画専業に

――アニメ「機動戦士ガンダム」がヒットし、そのままアニメ業界で生きていく道もあったはずですが、1989年に『ナムジ』の連載を開始し、しばらく漫画専業となります。

1980年代前半までは、「俺もいけるかも」と思っていた。ただ、ガンダム以降となる1980年代、アニメは大きな節目を迎える。宮崎駿氏の監督作品が国民的アニメになって、大友克洋氏、庵野秀明氏など、異業界からの参入を含めて、若い才能が続々とアニメ業界に押し寄せてきた。

かつては、あくまで漫画が「主」でその「従」がアニメという位置づけだった。『巨人の星』や『明日のジョー』も、漫画をアニメ化して放送することで視聴者がどっと来て、視聴率が取れるという構造。それが、1980年代にはアニメという表現自体に面白さがある、(原作のない)オリジナル作品も作れる、という流れになって、アニメ表現としての独立性が高まっていった。

こうして、俺の時代と思ったのもつかの間。尖った、非常にマニアックなアニメが作られる様子を目の当たりにし、「これは俺にはできないな」と痛感するようになった。

――「俺にはできない」と感じさせた才能とは。

象徴的だったのは、庵野秀明氏。彼は学生時代から特撮やアニメが大好きで、自主的にフィルムを作っていたのだが、それが非常にラディカルで面白い。とくにインパクトが強かったのは、1987年に公開された『オネアミスの翼』。劇場で観て、とんでもないものを作りやがった、と驚愕した。

「好きこそものの上手なれ」で、彼らは常識外れなぐらいぶっ飛んだことをやる。業界に長くいると、そんなコストのかかることをやったら会社が潰れてしまう、テレビアニメだったらこの程度だろう、と、迷惑をかけない程度に頑張るクセがつく。庵野氏たちは端からそういう頭で作品を作っていないから、とんでもないことをやってのける。そこまでの才能と熱量が僕にはなかった、と自覚した。

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