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精神科医が「高校生の患者」にする質問の中身 心理的な葛藤が体の症状に出ている場合には…

東洋経済オンライン / 2024年6月17日 19時0分

とはいえこのやり方は諸刃の剣とも言えて、思春期患者に同一化しながら診療する態度は、必要以上に患者を退行[幼児的になること]させ、医師自身の未解決の葛藤に患者を巻き込んだり、逆に患者の葛藤に巻き込まれたりしやすいことが知られているし、実感としても十分感じていることである。

例えば反抗期がなかった子と聞くと、大人になるまでずっといい子だったよねーみたいな話になりがちである。私自身も小さい頃から菓子やカクレンジャーの人形がほしいあまり道で寝転んで買って買って買ってー!!と叫ぶ、みたいなことは一切しておらず、また今度ねと言われたら100%素直に応じていた。もはやそういう記憶もしっかりある。

中高時代は周囲全員の顔色を窺って、親にも教師にも友人にも好かれるように振る舞っていた。その頑張りの副次的な産物として、激烈に成績が良くならざるを得なくなり、現役で公立大学の医学部に合格したわけで、だからこそ今の自分があることは間違いないのだが、とはいえ自分は反抗期を通過していないのだなということについて、つい考えてしまうところはある。

親が敷いたレールからはみ出しそうになっている子がいたとして、親が本人を叱りつけながらそのレールに強引に戻そうとしている場面をみると、この子がせっかく自分で自分の人生を送ろうとしているのに、何を考えとるんやこの親は、とか思ってついイラッとしてしまう気持ちが出てくることがしばしばある。

そしてその0秒後に、これこそ「医師自身の未解決の葛藤」なんだろうなと気づいたりもする。

どの「間合い」で患者と関わるか

いずれにせよ、そういったものに巻き込み巻き込まれるリスクを負うような“近間”で関わるのか、あるいは親や教師と似たような存在とより思われるようなおっさんとして“遠間”で関わるのか、医師の数だけ無限に間合いというものはあると思っていて、重要なのは、おそらく担当した医師のその人らしさが自然に現れる“間”であることと、医師として自分はここでどういう態度で患者に会っているのか、ということを意識し続けていることの二つである。

心から心配する温かさを持ちながらも、ああ、このやり方はちょっと近間すぎるなとか、遠間すぎるなとか、役割を演じる冷たさも同時に必要で、心が温かいだけでは巻き込まれてしまうし、役割を演じていること、装っていることに関しては、思春期の子のほうが大人よりもよっぽど敏感だから冷たいだけでも勘付かれてしまう。自然な間合いまで自分を晒し、本当に心配していると同時に、大して心配していないという矛盾した心理状態を保つことが、比較的普遍性のあるスタンスとして多くの治療者に受け入れられやすいのではないかと思う。

文献
片山登和子:発達的にみた青年期治療の技法原則、精神分析研究、1969、15-5; 1-6
小此木啓吾:青年期精神療法の基本問題、1976(笠原嘉編:青年の精神病理Ⅰ、弘文堂)
乾吉佑:青年期治療における〝new object〟論と転移の分析、1980(小此木啓吾編:青年の精神病理Ⅱ、弘文堂)

尾久 守侑:精神科医、詩人

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