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ミセス炎上「コロンブス」が持ち込んだ酷い病気 先住民「数十万人が2000人に激減した島」の悲惨

東洋経済オンライン / 2024年6月19日 12時30分

3番目に多くの命を奪ったインフルエンザの場合、成人になっても免疫がつくことはなかった。持ち込まれた新顔の感染症のうち、この3つは伝染力が特に強く、飛沫や体の接触を通じて伝染した。マラリア、チフス、ペストといったほかの病気が広がるには、相応の媒介動物──それぞれ蚊、シラミ、ノミ──が同時に持ち込まれる必要があった。だが、これも時間の問題にすぎなかった。

クリストファー・コロンブスがはじめて海を渡ってから1年足らずのうちに、伝染病はヨーロッパの最初の足がかりであるイスパニョーラ島を蹂躙しはじめた。島の先住民は数十万人いたと思われるが、それが1508年には6万人に、10年には3万3000人に、19年には1万8000人に減り、1542年には2000人を切った。複数の疫病がカリブ諸島を通過し、まもなくアメリカ大陸に到達した。

1518年、カリブ諸島で天然痘がはじめて流行し、島々を荒廃させると、19年にはメソアメリカのアステカ族とマヤ族に途方もない数の死者が出た。その衝撃があまりにも大きかったので、生き残ったアステカ族はのちに疫病の到来以降の月日を数えるようになった。新たな恐怖時代の幕開けを告げる重大な出来事だと考えたからだ。

接触によって伝染し、治療法もないため、天然痘はそれにはじめて触れた住民を手加減なしに襲った。あるアステカ族の言葉を借りると、

顔、胸、腹に腫れ物ができた。頭のてっぺんから爪先まで辛い腫れ物だらけだった。この病気はとにかく恐ろしく、誰も歩いたり動いたりできない。病人は完全に無力で、死体のようにベッドで寝ているしかなく、体を動かすどころか、頭さえ動かせなかった。うつぶせになることも、寝返りを打つこともできなかった。体を動かせば、痛みで叫び声をあげることになる。

わがもの顔で猛威を振るう伝染病が、スペインによる征服の道を拓いた。フランシスコ会の修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンは、アステカの巨大な首都テノチティトランの占領についてこう記している。

通りは死者と病人であふれ、われわれの兵士はその上を歩くほかなかった。

メキシコを襲った複合的な感染爆発

それから数年足らずのちの1520年代、天然痘はアンデスのインカ帝国に達し、おそらく統治者のワイナ・カパックを含む膨大な数の住民の命を奪った。

2度目の感染爆発が始まったのは1532年のことで、今度ははしかだった。この時も失われた人命は数知れず、被害はメキシコからアンデス山脈にまで及んだ。とりわけ深刻だった伝染病(おそらくチフス)は、1545~1548年にメソアメリカ中央部を壊滅状態に陥れた。その後のケースでは、いくつかの病気が足並みそろえてやってきた。

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