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村上春樹『風の歌を聴け』が表現する日本的感性 「他人とは分かり合えない」から始まる人間関係

東洋経済オンライン / 2024年6月20日 11時0分

川端:このタイトル、僕はめちゃくちゃ良いと思うんですよ。「風の歌を聴け」って、一般的な村上春樹のイメージには反する解釈だと思いますが、よくよく考えるとすごく日本的な感性でしょ。

浜崎:ホントそうですね。その「日本的感性」っていうのは、今回、僕も読み返していて改めて感じました。その意味じゃ、ものすごく伝統的な日本文学だなぁと(笑)。もちろん、書き方はアメリカナイズされているし、オシャレで現代的なんですけどね。

でも、それで思い出したのが、実は、アレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』っていう本だったんです。冷戦が終わったときに出たフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の種本です。というのも、そのなかでコジェーヴは、「ポスト歴史の世界」、つまり「ポストモダンの世界」と「日本的スノビズム」とを重ねて論じていたからなんです。

コジェーヴによれば、「歴史」とは、所与の自然を否定する労働と闘争の時間なんですが、これ、要するに「葛藤」のことですよね。つまり、「葛藤」によって成長し、進歩する時間が「近代の歴史」だというわけです。だけど、その「歴史」が終わったとき、2つのバージョンが現れるんだともコジェーヴは言う。

一つが、「労働」(自然の否定)を必要としなくなった「動物」のような生活、要するに、大衆消費社会に現れる「アメリカ的生活様式」です。それと、もう一つが、実は「ポスト歴史の日本の文明」、つまり、「労働」しないのに、自然に対する否定性を失わない生活スタイルだと。

で、コジェーヴは、これこそが「スノビズム」だと言うんですね。「労働」を通じて新たな「内容」を生み出していくような近代的生活ではなくて、「内容」の移りゆき(諸行無常)を、ある「形式」によって繋ぎ留めようとするような生活スタイル、それこそが日本的スノビズムなのだと。そして、「歴史」や「進歩」を締めて、なお「人間」であろうとすれば、これしかないとも言うんです。

それに絡めて言えば、村上春樹の世界って、まさに「ポスト歴史の世界」でしょう。つまり、そこで語られている「内容」に意味はないんです。問題なのは、その「語り方」なんですよ。スタイリズムと言えば「倫理」にもなるんですが、ただ、このスタイリズムは、同時に「スノビズム」でもあり、また「ポスト歴史の世界」の作法ということにもなる。

柴山:だけど、危険は危険ですよね。だって現実には歴史は終わっていないから。「葛藤」の世界は終わることなく続いていくわけですから。

「他人とは分かり合えない」が人生のベースにある

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