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村上春樹『風の歌を聴け』が表現する日本的感性 「他人とは分かり合えない」から始まる人間関係

東洋経済オンライン / 2024年6月20日 11時0分

藤井:ほんとにそうですよね。僕が村上春樹を読んだのは18くらいのときだったんですが、その前の12、3歳くらいのときから18になるくらいまでの間に、家族のことや学校のことでいろんな「葛藤」があったし、太宰治を読んでもう自殺しようと考えたこともあるし、なんだかよく分かんないからキリスト教に入信しようと思ったこともあるし、とにかく哲学を勉強しようとしたし、あるいはもうヤンキーの奴らと一緒に悪いことをしてるだけでいいやと思うこともあれば、いろんな恋愛もあったりだとか。たかだか17、8年間の人生ですけど、浜崎さんがおっしゃっているように、ローティーンからハイティーンにかけて僕も僕なりに「葛藤」してたわけです。

でも、ずっと15、6年、葛藤して、全てに敗北するんです。それで、その敗北のなかで、もう他者と「僕が望むレベル」で交流ができないことをだんだんと悟っていったわけです。だとしたら、交流できない前提で、そのなかで倫理的に正しく生きていく道を一応探るしかないじゃないか、だったらそうしよう、と思ったんです。そしてそう思えるきっかけは村上春樹の世界に触れたことだったし、そういうふうな生き方があるってことを、僕は村上春樹に初めて教えてもらったんだと思うんです。

浜崎:そうか、僕がちゃんと「敗北」してなかっただけなのかもしれない(笑)。

柴山:主人公の「僕」は昔の彼女が自殺してしまって、もう人と深く関わるのが嫌なんでしょうね。

藤井:でも、これは『ノルウェイの森』の話になってしまいますが、ものすごい助けようとしてるじゃないですか、自殺してしまう「直子」のことだって。指が4つしかない女の子のことも、できるだけ誠実に助けようとして、一晩抱っこして寝るんですよね。自分の体に女の子の鼻がくっついているのを感じながら。

だから現代っていうのは、ここからしかもう始まらないと思うんですよ。こんな絶望的な状況からしか。

藤井:でもそれは、絶望的状況なんだけど、この村上春樹の『風の歌を聴け』は、絶望はしてない。人と人が分かり合うこともできないし、人が人を本当に助けることなんてこともできない。だけど、例えばジェイズ・バーで、おいしくビールを飲む、あるいはパスタを湯がく。たかだかパスタだけど、美味しく作る。なんかそこにね、ミクロな日常のなかに真実がある。

その真実を誠実に一つずつ拾い集めて生きていくところからしか出発できないし、その真実がどれだけ小さなものであってもその真実は真実であって、そんな真実があるにもかかわらず絶望している暇なんてないはずなんだ、っていうことを僕は村上春樹に教えてもらったんです。そこから出発して今の僕があるんだと思うんです。

「相対主義」とは違う「無常」

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