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気づかぬうちに陥る「現代の情報弱者」とは誰か 「だまされる人が愚か」だと言い切れない事情

東洋経済オンライン / 2024年6月21日 10時30分

人は往々にして「現場意識」を見過ごしがちです。「お客さん意識」が強く、何かを実際に運用している側にはなかなか想像が及ばない。先ほど挙げた本書の「堤防」の例からも、国や自治体に怒ることばかりに役割意識を感じ、現場で予防策のために力を注いでいる人たちには目が行かない、そんな人々の姿が垣間見られます。「権力VSか弱き市民」「システムVS非システム」みたいな二項対立でものを考えがちなのです。そういう構図で物事を描いて発信してきたメディアの責任も大きいでしょう。

そんな中、SNSが普及して誰もが発信できるようになったことで、いわゆる「中の人」的な現場のありようにも目を向ける人が増えてきました。

たとえば数年前に、車椅子の人がバリアフリー非対応の映画館に行き、スタッフにスクリーンまで運んでもらったところ、「次からはバリアフリー対応の設備に行ってくださいね」と言われたというエピソードがXで話題になりました。「障がい者を排除するな」という批判の声が上がる一方、「車椅子をかついで運んだスタッフが気の毒」「現場の判断で、そこまで対応したのは親切」という声も多く見られました。

どちらが正しいという話ではありません。何やら強固で強大なシステムに一般市民が物申すという二項対立ではなく、その狭間にいる「システムを実際に運用している現場の人々」の存在が可視化されてきた。かつて見過ごされてきた「現場」に目を向ける人が出てきたことで、世間一般のものの見方のバランスが変わってきたと感じています。

視点の長さを伸び縮みさせる

ただ、現場の視点とは、言い換えれば、かなり絞り込まれたミクロな視点ですから、あまりにもそこに偏ると、今度は俯瞰的にものを考えられなくなってしまうでしょう。

最近の事例でいうと、北陸新幹線の未着工区間、敦賀~新大阪間のルートを巡る議論です。当初は京都を経由することが決まっていました。ところが、ここへきて環境保全の観点から京都府が難色を示し始めたこともあり、新大阪までの延伸計画は暗礁に乗り上げています。地元民の間でも「京都に北陸新幹線が通っても地元にメリットはない」「そもそも東京から金沢あたりまで行ければ十分。新大阪まで延伸する意味はない」などと紛糾していますが、どれも俯瞰的な視点を欠いていると言わざるを得ません。

そもそもなぜ北陸新幹線の区間が東京~新大阪になったか。それは、古くにつくられた東海道新幹線がコンクリート製の陸橋ではなく、盛り土の上に敷かれた線路を走っているため、ちょっとでも強い雨や雪に降られると、線路の土台が崩れて走行できなくなる恐れがあるからです。

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