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「宮藤官九郎作品は不適切」と言う人に欠けた視点 「ホモソーシャル作家」という評価は正しくない

東洋経済オンライン / 2024年6月21日 15時0分

そしてそこに、ぶっさんの死という終焉、“文化祭”が終わるかもしれない日がいつか来ることが感じられるからこそ、より切なさを増す――。『木更津キャッツアイ』は死の匂いと“文化祭の終わり”がクロスして切なさを創出しながらも、笑いにも満ちあふれた、紛れもない傑作なのである。

『木更津キャッツアイ』が批判の対象となる懸念

だが、それが“男たちだけの文化祭”であると捉えられたときに、現在の見え方として心配な点も生まれてくる。

『不適切〜』放送時にきたクレームに「あいつ(宮藤)に女性がわかるわけがない」といったものがあったという。その理由を本人はこう分析する。

「若い人たちは配信で昔の僕の作品を見るから、『こんなことを書くやつに女性の気持ちが書けるわけない』ってそういう先入観があって見るから、『この表現はどうなんだ?』と引っかかるみたいです」(『月刊Hanadaセレクション月刊Takada芸能笑学部』、飛鳥新社)

配信による思わぬ“弊害”である。過去の作品を現代の価値観で論じることの是非はいったんおいても、『木更津キャッツアイ』が配信開始されたらこの論調はより強まってしまうかもしれない。

想像されるのは「ホモソーシャル」といった言葉を用いた批判である。ホモソーシャルとは、女性および同性愛者を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学の用語である。

『木更津〜』は、基本的には男性5人組の話なので、そこにはたしかに男同士の絆を感じることができる。実際、放送時に見ていた女性の中にも、あのような関係性に憧れる人もいただろう。

『木更津〜』のあとにも、宮藤官九郎作品ではないが、嵐の二宮和也や小栗旬が童貞の高校生を演じた『Stand Up!!』(2003年、TBS)や、嵐の5人が主演した映画『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』(2002年)など、男性数人が仲良くする物語は多く作られ、支持を得た。

「ホモソーシャル」という言葉が今ほど一般的でなかった当時は「チーム男子」といった文脈で、男性数人がわちゃわちゃと仲良くしている状況を女性が“萌え”の対象として歓迎し、消費される向きもあった。

気をつけなければいけないのは、男性同士が仲良くすることや、その絆自体に問題はないということだ。だが、それが女性を排除したり、蔑視したりすることにつながると問題である。

『木更津〜』では酒井若菜演じるモー子に対して、男たちが「ヤラせろ」といった軽いノリをしめす。男性同士の絆を強固にするために、モー子というキャラクターが使用されている感も否めない。

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