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仏マクロンの決断は第3次世界大戦を招きうるか 6月30日にフランス総選挙、ロシア派兵は実現するか

東洋経済オンライン / 2024年6月23日 10時0分

すでに大統領を2期務めているマクロンにとって3期目はない。彼の気持ちは、1期しか認められていなかったルイ・ナポレオンの気持ちに重なるともいえる。

ルイ・ナポレオンの伯父、大ナポレオンであるナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世、1769~1821年)は1799年11月9日、革命暦ブリュメールの18日、執行権を独り占めにすべくクーデターを起した。

クーデターが成功した後、やがて第一帝政(1804~1815年)を施行し皇帝に上りつめる。議会や憲法を踏みにじって、独裁権力を獲得したのだ。ナポレオン神話の始まりである。

ルイ・ナポレオンは伯父のことが忘れられず、大統領再任を憲法に阻まれた。そのため憲法を踏みにじるべく、1851年12月2日にクーデターを起して第二帝政(1852~1870年)を施行し、皇帝へと上り詰める。伯父と同じことを行ったのだ。だから、ヴィクトル・ユゴーはルイ・ナポレオンを小ナポレオンと呼んだ。

この光景を見ていたカール・マルクスは、有名な文章から始まる『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852)という作品を書いた。

「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大なる世界史的事象と人物は、いわば二度出現すると述べている。彼は、つぎのことを付加することを忘れていた。それは、一度目は、悲劇として、二度目は、茶番劇として出現するということである。―――人間は自らの歴史をつくるのだが、自ら選んだ自由な断片からつくるのではなく、直接に依存している、伝統的な、与えられた状況のもとでつくるのである。死せるあらゆる世界の伝統は、生きているものの額の上に、悪夢のようにのしかかる」

ルイ・ナポレオンは、これによって皇帝としてフランスにそれ以後20年近く居座ることになる。クーデターは確かに成功したのだが、大ナポレオンのように神話になることはなかった。だから小ナポレオンなのである。

マクロンの「ロシア派兵」

もちろんこれが茶番であったのかどうかについては議論が分れるところだが、少なくとも大ナポレオンに比べ、小ナポレオンであるナポレオン3世の方が偉大なる人物だと思うものはおそらく1人もいないだろう。

何事も二番煎じは評判が悪い。小ナポレオンも大ナポレオンのように普仏戦争(1870~1871年)、3回にわたるイタリア独立戦争(1848~49、1859、1866年)、アメリカ・メキシコ戦争(1846~1848年)、クリミア戦争(1853~1856年)と戦争に明け暮れたことは確かである。ただ、これらの戦争を偉大なるフランス革命の成果であると評価するものはいない。

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