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安易な国粋主義を戒めた「日本主義」哲学者の気概 九鬼周造の生き方に見る「媚態」と「やせ我慢」

東洋経済オンライン / 2024年6月25日 10時30分

古川:そうですね。生きるの「生き」と、呼吸の「息」。あとは意気地とか、意気に感じるの「意気」。行ったり来たりの「行き」もありますね。これらは全部、語源が同じである。だから、「いき」とは「生き方」であり、人生の「行き方」であると九鬼は言っています。

中野:いろいろと意味はありますが、通約不可能性のことをとりあえず無視して、「いき」という言葉をあえて英訳すると「Life」ですよね。つまり「生」。現象学を学んだ人が「生」をテーマにするというのは、何も不思議なことではない。「Life」を現象学で研究しているときに、それを日本語でどう表現するのか、そして、ハイデガーの影響も受けて、語源学にも関心をもった結果、「Life」を「いき」と結びつけるに至った、という仮説もありえそうです。

母への思いと西洋との対峙

古川:言われてみれば、まったくおっしゃるとおりですね。しかし、九鬼研究ではその点に言及されることはあまりありません。なぜ九鬼が「いき」にこだわったのかについては、諸説あります。

いちばん有力で、ほぼ間違いないのは、彼の母親に対する個人的な思いです。少しだけ説明すると、九鬼の母親の波津(はつ)という女性は、芸者出身だったと言われています。一方、父親は文部官僚の九鬼隆一。現在の重要文化財保護法に当たる古社寺保存法の制定などを主導した人として有名で、岡倉天心のパトロンでもありました。

ところが、波津さんと岡倉がいわゆる不倫の関係になってしまいます。波津さんは隆一と離婚し、さらに最終的には岡倉からも見捨てられて、孤独のうちに心を患って精神科病棟で亡くなりました。九鬼は少年時代に、その母の姿を目の当たりにしていて、それがずっとトラウマのようになっていました。ですから、江戸の芸者の美意識である「いき」を論じるとき、九鬼は常にお母さんのことを思っていたんです。

たとえば、『「いき」の構造』のなかで、江戸時代に最も「いき」な色とされたのは「白茶色」だと述べていますが、その草稿をヨーロッパで書いていた頃、彼は「母うえのめでたまひつる白茶色 はやりと聞くも憎からぬかな」という短歌を詠んでいます。なんだかちょっと涙を誘いますね。

しかし、それと同時に、私が今回、久しぶりに九鬼の論考を読み返してみて思ったのは、「いき」というのは、日本人の「西洋」というものに対する向き合い方を問題にしていたのではないかということです。

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