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「都市と山村」を行き来する「土着の思想」の実践 競争社会的生き方とは別の生き方を育む「苗代」

東洋経済オンライン / 2024年6月25日 10時0分

それは言ってみれば、言葉のない世界であり、言葉を信じない世界であった。私は、自分が生まれ育った言葉のない地縁共同体に強い反発を覚え、そのしがらみの世界から逃れることに必死だったように思う。

ときおりその頃のことを思い出すことがあるが、今なら言葉のない世界の住人たちが、その価値判断や実行力において言葉の世界に生きるものたちに劣るところはないということがよくわかる。吉本隆明が同じことを書いており、私は深くその影響を受けてきた。

2つの世界を往還した私にとって、相反する2つの世界を架橋することが、自分がものを書くことの動機であるとさえ思っている。拙著『21世紀の楕円幻想論』はその試みであった。

強い意志で平凡な日常を生きる

真兵くんの「土着思想」には、私が考えていたような、重苦しい、錆色の風景はない。

『男はつらいよ』の寅さんや、嘘を嘘と知りつつ演じ切る力技としてのプロレスについて語っているように、そこにあるのは、極めて現代的な風景の中における人間的な生き方への模索である。

真兵くんがその独特の「土着」の思想に行き着くきっかけになったのは、家で友人たちと鍋やタコパ(たこ焼きパーティー)をしているとき、これ面白いよと本をすすめたり、反対に貸してもらったりした「個人的な体験」であったと言う。そして、彼が作ったルチャ・リブロという東吉野村の私設図書館は、こうした「個人的な体験」の積み重ねの延長にあるのだと言う。

私は、自分がそうだったような重苦しい、錆色の風景の中から出てくる「土着」の思想に比べて、真兵くんのそれはちょっと軽すぎるじゃないかと批判したいのではない。

反対に、極めて個人的な、どこにでもあるような体験の積み重ねのなかから、独自の「土着」の思想へと行き着いたことに驚きと、強い共感を覚えるのである。誰にでもできることではないが、日々の生活の中でさえ、やろうと思えば可能な実践。簡単な言葉でいえば、「地に足をつけ」て、人間サイズの生活を何よりも大切にするということである。真兵くんは、強い意志で、平凡な日常を生きている。

これから先、この清々しい思想家であり、実践家がどこへ向かうのか、私は応援しながら見続けてゆきたいと思う。

平川 克美:作家、隣町珈琲店主

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