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「私は養子」TVの直撃取材で知った人の辛いその後 30代の子育て中に知った彼女の人生に起きたこと

東洋経済オンライン / 2024年6月26日 13時30分

弓子さんは30数年前、連絡もなく家を訪れた取材者から、自身の出自を知らされたのでした(写真:筆者撮影)

昭和から平成の頃、テレビではよく「生き別れになった肉親や大切な人との再会シーン」を売りにした番組を放送していました。『それは秘密です!!』(1975~1987)『嗚呼!バラ色の珍生!!』(1994~2001)『完全特捜宣言!あなたに逢いたい!』(1996~1997)など、懐かしく感じる人もいるのでは。

そんな番組を作る制作スタッフの取材によって、ある日突然、自分は養子なのだと知らされた――。そんなことホントにある? と思うかもしれませんが、中国地方に住む弓子さん(仮名・60代)が実際に体験したことです。弓子さんは30数年前、連絡もなく家を訪れた取材者から、自身の出自を知らされたのでした。

大人になって知り、アイデンティティが崩れる人も

当連載ではこれまでも、養子やAID(非配偶者間人工授精)、産院での取り違えなどにより、親と血縁がないことを大人になってから突然知った人を何度か取材してきましたが、多くの人は言葉にしがたいほどのショックを受けていました。

中にはその後の人生が大きく変わってしまった人も。子どもの頃には伏せられていた自身の出自にかかわる真実を大人になってから知らされると、アイデンティティが崩れてしまうこともよくあるのです。

最近こそ子どもが小さいうちに出自を伝える重要性も言われるようになりましたが、当時は「子どものうちは言わないほうがよい」という考えが主流でした。

降って湧いた信じがたい事実を、弓子さんはどのように受け止め、その後の人生を歩んできたのでしょうか。取材を受けたいと連絡をくれた弓子さんに、ぜひ、お話を聞かせてもらうことにしました。

「会いたいという人がいるので、テレビに出ませんか」

平成のはじめ、第3子が生まれて1年ほど経った頃でした。当時、弓子さんは夫の転勤で地元を離れ、東京近郊に住んでいたのですが、あるとき玄関にテレビ番組の取材者が訪れ、血縁者が弓子さんに会いたがっている旨を告げたのです。

戸籍に書かれた血縁の父は知っている人だった

「そんな記憶は全然ないですから、帰ってください」と答えたものの、相手は「嘘ではない、戸籍をもってきている」と言って引き下がりません。「見てもらわないと帰らない」とまで言われ、やむなく戸籍を見た弓子さんは、自身が養子であることを知ったのでした。

「そうしたら(戸籍に載っていた血縁の)父親が、同じ町に住む知っている人だったんです。『なぜ?』っていう感じでしたね」

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