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ミセス「コロンブス」騒動における隠れた「勝者」 「古い価値観」はいつから「古い」とされるのか

東洋経済オンライン / 2024年6月27日 10時40分

なぜ今日では、かくも急速に常識が変化するのか。その理由は、私たちが生きる社会が「近代」(モダン)という枠組みの中にあるからである。この「近代」の駆動メカニズムを理解すると、私たちは今の社会の成り立ちや動き方の特徴が見えてくる。

近代とは、批判を恐れず簡便に定義をするなら、古い非合理的・非合法的な制度・しきたりを廃棄し、自然科学・社会科学・人文科学の諸活動に基づいて、合理性に根差した社会システムによって人間生活が営まれるようになった時代のことをいう。

科学的合理性に根差した社会システムとはつまり、あらゆる社会の仕組みが、論理的に説明できるものである、ということを意味する。なぜ、国家という単位を持つのか。なぜ、三権分立をするのか。なぜ、働くのか。金融とはいかなる仕組みか。何が、正しい事なのか。科学の力が、それらの全てに根拠を与える。そういう社会構造のもとに、私たちは生きている。

この特徴ゆえに、近代という社会構造の中では、科学が発展するにつれ、その諸原理が否定され、再構築されていく。かつては正しいとされていたことが誤りであったとされて、新しい科学理解に基づき、新しい常識が生み出されるのである。

かつて80年代には、原子力が日本の未来のエネルギーと明るく信じられていたことを覚えている人は少ないだろう。原子力は、化石燃料に頼らない、地球環境を破壊しない、夢のエネルギーだったのである。だが、現代日本では、そのように考える人はもはや少数派だろう。

科学の進歩によって常識が覆った事例など、枚挙に暇がない。100年前であれば、ノルマを達成できたかどうかで賃金水準を決定することが、労働者の「科学的な管理法」であると信じられていた。現代ではそれはサボタージュの主要因とみなされている。外科手術の前に手を洗うことが常識となったのは1870年頃のことである。企業が長期繁栄するためには、策略を巡らせるよりも競争力を高めることだ――が常識となったのも、実はようやく2000年頃のことである。

私たちの生きる近代以降の社会では、科学の進歩とともに新しい常識が生み出されては、長い年月のなかで更新されていくことになる。別の見方をすれば、私たちの社会を構成している諸原理――たとえば、資本主義だとか、国民国家、組織の階層構造、大量生産、労使関係といったもの――はすべて、科学的な疑いの目がかけられ続け、新しい常識へと再構築される可能性にさらされている。いかなる過去の常識に根差して活動することも、その常識が覆るリスクを抱え込むことになる。

今の価値観では昔の価値観は「誤った」ものに思う

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