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「夫の前妻の子ども」が紫式部に"歌を贈った"真意 夫の宣孝亡き後、紫式部に言い寄った男性も

東洋経済オンライン / 2024年7月6日 11時30分

前妻の娘が、継母である紫式部にこのような歌を贈ってきたということは、前妻の娘のなかに、この人(紫式部)なら私の胸中をわかってくれるに違いないという確信のようなものがあったのでしょう。紫式部と前妻の娘は、宣孝が生きていた頃に、ある程度親しく付き合っていた可能性もあります。

またこの前妻の娘は、桜の季節になると「主人のいない家はたちまち荒れ果ててしまいましたが、桜は去年を忘れず、咲きました」と桜の枝を贈ってきてくれることもあったようで、それを見て紫式部は「散る花を嘆きし人はこのもとの淋しき事やかねて知りけむ」と歌を詠んでいます。

「散る花を嘆かれていたあの人は、ご自分が亡くなった後に、子どもたちが寂しい想いをすることを前々から知っていたのだろうか」といった意味になります。

また、この歌の注には「思ひ絶えせぬと亡き人の言ひけることを思ひ出でたるなり」(あの人はいつも心配事が絶えないと言っていたことを思い出した)と記されています。

前妻の娘は、もう年頃の女性であったはず。結婚も視野に入っていたでしょう。そうした娘が嫁ぐ姿を見られなかったことは、宣孝としても、さぞ、心残りだったに違いありません。宣孝の前妻の娘は、藤原道雅(藤原伊周の子)の妻になったと推測されています。

夫の死を悲しむ紫式部でしたが、早くも求婚者が現れたようです。

「門叩きわずらひて帰りにける人の」と歌の詞書にあり、紫式部の家の門を何度も叩いたものの、中に入れてもらえず、虚しく帰っていった男性がいたようなのです。

その男性は、翌朝、次のような歌を贈ってきました。「世とともに荒き風吹く西の海も磯辺に波は寄せずとや見し」と。「いつも荒々しい風が吹く西海の海辺でも、海岸に波を寄せつけないということはありませんでした」という意味です。紫式部から手ひどく拒絶された男性の恨みとも怒りとも取れる歌意です。

この男性は西海の状況を知っているようなので、西国の受領を務めていた人物かもしれません。

紫式部は男性に「かへりては思ひ知りぬや岩かどに浮きて寄りける岸のあだ波」と返歌しています。「虚しくお帰りになり、こういう女性もいるのだということがおわかりになりましたか。女性のところと言えば、言い寄ってこられるあなたは」との意味で、紫式部に男性を受け入れる余地がなかったことが読み取れます。

諦めきれなかった男性に対する反応

それでも男性は諦めきれないようで、年が明けてから「門は開いたでしょうか」と言ってきたようです。

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