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「30年で貧乏になった日本」で若者に起こった変化 気がついたら日本のプレゼンスも低下していた

東洋経済オンライン / 2024年7月11日 12時40分

――つまり日本の世界的なプレゼンスがどんどん下がっていると。

そうだと思います。国際社会におけるプレゼンスは、軍事力と経済力だけで決まるものではありません。指南力のあるメッセージを発信する力も、国力の重要な構成要素です。それは軍事や経済とは違う、もっと叡智的で道義的なものです。

「日本は今の世界をどう見ているか」「日本は、これからの世界はどうあるべきだと思っているか」を論理的で説得力のある言葉で語ること、これはあらゆる政治的リーダーの義務ですけれども、今の日本にそんなことを本気で考えている政治家はいません。

――かつてはもっと雄弁だったのでしょうか?

主権国家だった頃は、日本は固有のプレゼンスを持っていたと思います。国際連盟ができたのは1920年ですが、大日本帝国は常任理事国に選ばれました。アメリカが議会の反対で加盟できなかったので、常任理事国はイギリス、フランス、イタリア、日本の4国でした。今から100年前の日本にはそれだけのプレゼンスがあった。

でも、軍部が暴走して戦争に負け、明治の先人たちが営々として築いたものをほとんど失った。でも、1960年代から奇跡的な経済成長を果たして、1980年代にはアメリカと並ぶ経済大国になった。短期間に国運を再生させた先人の努力は評価に値すると思います。

その時代のアメリカ人は日本の驚異的な復活に対して「畏怖」に近い感情を持っていました。映画を観るとそれがわかります。例えば、『ゴースト』(1990年)では、主演のパトリック・スウェイジは日本語を必死に勉強していますが、それはメインの取引相手が日本人なので日本語会話能力がエリート社員であるための必須条件だったからです。

『ブレードランナー』(1982年)でも日本の製薬会社の広告が画面いっぱいに広がり、ハリソン・フォードが日本語しかしゃべらない親父相手にうどんを注文する印象的な場面もありました。東洋に日本という不思議な国があって、その国の文化や商品がアメリカ社会に深く入り込んでいる。そのことに対する驚きと微妙な不快感が画面からにじみ出ていた。

平和憲法がありますから、日本が軍事大国になるリスクはない。でも、経済力で世界を支配するだけの潜在能力は持っている。当時の国際社会からの評価はそういうものだったと思います。

1980年代には、世界の時価総額トップ50企業のうち32社が日本企業でしたし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、「日本型経営モデル」が真剣に研究された。でも、バブル崩壊で、日本は経済活動についての指南力を喪失しました。

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