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リアル「虎に翼」英国女性が法曹界で抱えた苦悩 弁護士になるまで31年、生涯男装の女性医師も

東洋経済オンライン / 2024年7月15日 19時30分

エル・ヴィーノでは、女性がカウンターで飲み物を注文したりカウンターの脇に立ったりすることを禁じていて、女性はテーブル席がある奥の部屋にしか入れなかった。

エル・ヴィーノの言い分は、騎士道精神を守るためというものだった。エル・ヴィーノはシティに店を構えていて、ジャーナリストや弁護士らが集まってゴシップに興じる場として愛されていた。

しかし、1970年に女性ジャーナリストの一団がカウンターに押しかけ飲み物のサービスを要求しても、経営者はまだ自分たちの方針を曲げなかった[47]。

第一審の法廷では、女性差別に当たらないと判断されたが、控訴審では、女性がバーの特定の場所にしか集まれないのであれば、職業上不利な状況におかれる可能性があると認めた。

判事は次のとおり述べた。「男性はエル・ヴィーノで飲みたければ飲める。望むならカウンターの周りに集まり友人と交流できるし、とくにジャーナリストであるなら興味深いうわさ話をいろいろ拾えるだろう。(略)男性ジャーナリストにそうしたことが認められているなら、なぜ女性には認められないのか?[48]」。

女性用トイレがない

トイレの設備がないことは、女性が職場で不利な状況におかれみずからを向上させる機会を妨げられる理由にたびたびされてきた。ハーバード大学は、非常に長い期間にわたって、トイレがないことを理由に女子学生の医学部入学を認めなかった大学の一つだ。

医学部に女子学生の入学が認められたのは1945年のことで、女性が初めて志願してから100年近くたっていた。ハーバード大学ロー・スクールが女性に門戸を開いたのは1950年で、最初の女性が入学を志願してから79年後だった。

イェール大学医学部は、1916年に女子学生を受け入れた。経済学教授のヘンリー・ファーナムが費用を払い、女子トイレを設置したあとのことだ。

ヘンリーの娘がイェールの医学部に入ることを強く希望していたからだった[49]。アメリカで最も名高い士官学校のバージニア州立軍事学校は、1996年になるまでトイレを口実として利用していた。

女性用のトイレが十分にないという問題は、アメリカで「トイレの平等(potty parity)」として知られている。一部の専門職の職場や権力の殿堂で女性用トイレがないことは、女性が除外されていることの指標になる。

米下院に2011年まで存在したトイレの不平等

信じられないことに、アメリカの下院では2011年になるまで議場の近くに女性用トイレがなかった[50]。

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