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泉房穂「本人の幸せは本人にしか決められない」 障害がある弟の「満面の笑み」が教えてくれた

東洋経済オンライン / 2024年7月17日 17時0分

泉氏は「本人の幸せは本人にしか決められないし、本人が決めるべきもの」と力説する

明石市長時代、「やさしい社会を明石から」をスローガンに、子育て支援策を中心とした福祉政策の拡充を図った泉房穂氏は、昨今の閉塞する日本社会の根底には「横並び主義」や「前例主義」に代表されるさまざまな忖度が存在していると喝破します。

そんな泉氏が「やさしい社会」を目指すことになったきっかけのひとつともなった、障害がある弟とのエピソードを振り返ります。

※本稿は、泉氏の著書『さらば! 忖度社会 崖っぷちニッポン改造論』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

無理心中をし損ねた母からの痛烈な言葉

家族や地域の貧困と、障害を持って生まれた弟と私たち家族への差別。この2つの理不尽に加えて、人生3つ目の節目となる出来事が起きたのは、私が6歳、弟が2歳の時のことでした。弟は障害者手帳に「起立不能」と書かれたのです。

この4文字は強烈な印象として私の中に残っています。そして、その言葉に絶望した母が、弟を連れて無理心中を図りました。しかし、母は死にきれずに弟を連れて戻ってきた。

母は、私に似ていて口が悪いのですが、当時は「お前のせいで死ねなかった」と私を罵りました。「あんたが悪い。あんたがおると思ったら死なれへんかった」と。

そこまでは、まだいいのです。母はさらに言いました。

「あんたが弟の分まで(能力を)取ったんだ。あんたがかけっこで一番にならなくていいから、弟を歩かせてよ。あんたはテストで100点を取らんでもええから、弟に字を書かせてよ。あんたが弟の分まで全部取ってしまったんだ」と。

6歳の子どもにとって、これは耐えがたかった。大好きなオカンから責められて、私は自分の体を引きちぎることができるものなら引きちぎって弟に返したい、とさえ思いました。

私は自分なりに努力してきたつもりですが、実際、子どもの頃から勉強も1番、運動も1番。野球大会ではホームラン王、サッカーでは得点王、柔道は市内優勝、ラグビーも県大会優勝時のキャプテン。

ですが、それを自慢したいわけではなくて、そんなふうにできてしまうことが、自分の中では逆に引け目になってしまった。6歳の時、無理心中をし損ねた母から責められたことで、普通に親に甘えることができない子どもになっていたのです。母のことはずっと大好きです。それでも、あの言葉はつらかった。

小学校の頃から、両親には「お父ちゃん、お母ちゃんは先に死ぬから、あんたが2人分稼いで弟の面倒を一生見なさい」と言われ続けていました。「弟の分まで取った能力を、弟に返せ」と大好きな母に責められて、自分の体を引きちぎることができない以上、自分の能力は困っている人のために使わなければいけないと、幼いながら自分の心に誓ったのです。

「足に障害があるなら、養護学校へ行ってください」

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