1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

終活の「適齢期」は自分の基準で決めればいい 無理にやっても「鬱々とした」気分になるだけ

東洋経済オンライン / 2024年7月18日 17時30分

もともと、雑談があまり好きじゃないのもあるけれど、時間の無駄遣いと思うんですよねー、評論家っぽいというか誰かの受け売り。

何がイヤか、というと「誰々が言ってたけど」がつくので、自分の意見じゃないから最終的には責任取らなくていい感があふれ出ている。

その誰々に権威があろうが、見識があろうが「あなた自身はそれに対してどう思うの?」の方なら、ちょっとは聞いてもいいかな。

ほんと、すべてにおいて単なる受け売りはやめたい。せっかく70年以上生きてきたのだから、自分の経験や体感をもっと尊重してあげてはどうですか? と言いつつ、ご意見番みたいなのもなりたくないなぁ。

憧れるのは、飄々とした少し仙人テイストが入ったご老人の佇い。ごまかしたり見栄はったりとは対極にいる、自然体の自分になれるなら、これからの歳月も無駄じゃない気がします。

おいしいものも、おしゃれやおしゃべりも、誰かの真似や受け売りじゃなく、自分でじかに感じて感激して、まずは自分の中の「栄養」や「エネルギー」にする。

「おススメのおいしいモノあります?」と聞かれたとしたら、自分の中の抽斗から、いくつかおいしいモノの名前やエピソードが出せたら、とってもうれしいです。

そして聞いた相手が、実際にそれを食べるかどうかの問題は、その人の人生の問題だから、気にすることなく抽斗をそっとしめる……。こんなシニア、只者じゃなくカッコイイなぁ。

シニアにとって「失敗は、むしろ伸び代」

昨日までできなかったことができる幼児と、昨日までできたことができなくなる高齢者、どちらも通るのが人生なんでしょうね。90代を経験した父母も、やはりつい最近までできたことを失敗するようになると、娘の私には隠すことが多かったです。

仕方ないことだと思うし、介護のプロの前では(ほぼ)正直にできないことを認めていたから、その辺のデリケートな気持ちは分かります。

親は、こういうことも、子に教えていくのかな……。時が経った今は、そんなふうに考えられるようになりました。

70代の今は、まだ90代とは失敗のレベルが違うから、たとえ何か失敗したとしても隠したりせず暮らせていますが、その年になってみないと本当のところは分かりません。ただ、私個人はこれからも失敗を隠すのはやめたいです。

それは「失敗が悪いこと」とは思っていないから。できないことや失敗には、理由があるわけで、隠されたり隠したりすると、解決方法が見つかりません。「失敗があるから、工夫できる」、そう考えたいです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください