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日本で「職場での傷つき」が軽視されている大問題 できる人は「機嫌がいい」「怒らない」だろうけど

東洋経済オンライン / 2024年7月19日 16時0分

誤解なきようにお伝えしたいのは、ある条件下では「ハラスメント」だとして評価や処遇を問われたり、また、傷ついた側の傷の深さ次第ではときに「メンタル不調」として精神医学的な加療がなされることはもちろん大切なことです。

しかし他方で、ある種、極端なところに行くまで、日常的な個人のもやもや(悲しみや戸惑い)はなきものとされてしかるべき、というのも違うように思います。正常か異常か、できる人かできない人か、のような乱暴な二元論ではなく、素朴な疑問なのです。

――あのときのあなたの傷つきや悲しみや怒りは、職場でろくに口外されずに、どうなっているんでしょうか?

シャボン玉のごとく、きれいさっぱり消えたのでしょうか。いつまでも気にしているほうが悪くて、さっさと「メンタルを強く」すればすむのでしょうか。もしくは「怒らない技術」「いつもご機嫌でいる作法」があれば、平静を装えるのか。

はたまた、「職場での傷つき」は、"自分が仕事できないやつだから仕方ないんだ“”期待に応えられない自分が悪いんだ、能力が低いからダメなんだ"などと納得させてしかるべきなのでしょうか。その答えは総じてNOだと考えます。

「能力評価」が「傷つき」を見えなくしている?

「あの人やる気ないよね」
「うちの部署は問題社員ばかり」
「残念な上司のもとで成長しそうもない」
「社長にリーダーシップがないから、うちの会社はぱっとしないんだよ」

聞いたこと、もしかしたら言ったことのある、お馴染みの発言ではないでしょうか。上司から部下へのみならず、部下から上司のパターンも含む、働く個人に対する立場からの言いぐさ。

その矛先は、相手の「やる気」や態度、「リーダーシップ」をはじめとする「能力」への「評価」に向けられていることが多いわけですが、これらの一見それっぽく聞こえる「能力評価」こそが、「職場で傷ついた」と言わせてくれない労働・職業世界をつくっているのではないか?

そんな仮説を解きほぐしていこうとしているのです。逆に言えば、

・言われたことしかやらない職場
・多様性はかけ声ばかりで、実は排他的な職場
・上意下達で創造性や革新性が立ち現れない職場

などの、疲れた職場という問題は、社員個人の「不出来」「能力・資質」「メンタルタフネス」の問題にされがちです。そして、組織は個人の「選抜」「育成」に躍起になっていますが、足元の個人の「傷つき」をなおざりにしたまま、功を奏すことはあるのでしょうか。

このような問いを入口に、「職場の傷つき」が、公言されずともどのような場面で実は存在しているか? それなのに、本人が申し出ることはなぜないのか? の背景に迫ることから「組織開発」をはじめていきます。

勅使川原 真衣:組織開発コンサルタント

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