藤原道長「我が世の春」支えた露骨な"脱税ほう助" 改革を目指した菅原道真は失脚の憂き目に
東洋経済オンライン / 2024年7月23日 17時0分
この悪弊を行っていたのは、名門の貴族たちです。菅原道真は、貴族としては名門ではないので、改革実行者としてはうってつけでもありました。だからこそ、宇多上皇から改革担当者として指名されたのです。
もちろん、この改革に対して名門貴族たちは反発します。彼らは菅原道真が右大臣に就任した途端に結託し、宇多上皇の隙を見て、道真を追い落としてしまったのです。
「既得権化」していく国司の中間搾取
平安時代になると、国司は一定の徴税分だけを中央に送り、残った分は着服するようになっていきました。つまり、国司による中間搾取が多くなったのです。農民たちは朝廷に訴え出たり、国司を襲撃するようなことも頻繁に起きました。
しかし、すでに述べたように国司の抜本的な改革をしようとした菅原道真は、他の貴族たちの猛反発をくらって失脚し、大宰府に流されてしまいます。
やがて、朝廷は国司の中間搾取を認めるようになります。一定の税収を確保できれば、それを上回った分は国司の取り分にしていいということになったのです。朝廷としては、財源を確保するための苦肉の策でしたが、農民たちはたまったものではありません。
国司は規定以上の税を取り立てるようになったり、逆に農民が税を少なくしてもらうために賄賂を渡してくることも多々ありました。こうして、ますます公田が荘園化していきました。
当時の貴族たちにとって、国司というポストは非常に美味しいものとなっていました。特に「熟国(じゅくこく)」と呼ばれる豊かな地域に赴任する国司は、非常に潤うことになりました。そのため、貴族たちは誰もが国司になりたがるようになったのです。
「脱税ほう助」で莫大な富を築いた藤原道長
しかし、国司になるには、本人の力量よりも門閥の力が重要となっていきます。家柄がよくないとなかなか国司にはなれず、有力な貴族の後ろ盾が必要だったのです。
そのため、国司の希望者は有力な貴族に取り入って家来のようになったり、賄賂を贈ったりもするようになりました。また、有力貴族は自分の息がかかったものを熟国の国司に任命することが多々ありました。
この「国司の不正システム」をもっとも活用したのが、あの藤原道長です。
藤原道長は、「摂関政治」で一時代を支配した藤原氏の象徴的な人物です。藤原氏は娘を天皇に嫁がせて、次期天皇の外祖父となり、摂政・関白という天皇を補佐する役職に就いて権力を握りました。
藤原氏の権力が絶頂のころ、国中の主な国司の任命権は藤原氏が握っていました。そのため、藤原氏には国司や国司希望者から多額の賄賂が贈られていたのです。
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