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「やりたいこと」より「役立つ資格」を選ぶ人の盲点 「社会が設定した欲望」は誰がつくっているのか

東洋経済オンライン / 2024年7月24日 14時0分

三宅:指導教官が「好きにやりなさい」と責任を持って強制するなら、卒論は学生にとって自分のやりたいことを探す、いい機会になりそうですね。

私の著書の中で引用した『疲労社会』という本の言葉を借りると、20世紀型の強制と言えるかもしれません。つまり20世紀型は、上司が部下に「こうしろ」とか「何時間残業しろ」という強制だった。一方で、舟津さんが先ほどおっしゃったような、自分で選んだかのように見せかけるのが、21世紀型の強制の型。20世紀型であれば、ある意味責任は上司にありますが、21世紀型だと「働かない自分」「競争に勝たない自分」に責任があるので、もっともっとと自分を煽って疲れてしまい、実はすごく鬱が近いという。

『疲労社会』は働いている人の話をしていますが、私は学生たちも同様だと思います。昔なら反抗的な不良が多かったのに対し、今では「いい子」が多くなっているのは、そう誘導する抑圧が強化されているから。本当はその誘導を真に受けすぎると学生たちもしんどいし、疲れてしまうのですが。

ときには親や先生、会社の言うこと疑って、サボるときはサボるとか、そういう使い分けができたらいいんですけど、かなり器用じゃないと難しいな、とはすごく思いますね。

舟津:そうですね、今の話を聞いて思うのは、真面目であれと強制されるのは若者だけでなく、社会全体なんですよね。一方で鳥羽和久さんと対談したときに出たような、その真面目さはフェイクで、裏をかいたやつが結局勝てるんだと心の底では思っている「不真面目社会」でもあるという両面性も備えているのですが。

ただ、プレッシャーに対して、効率的かつ完璧に応えなければならないと多くの人が思っている。それがさらに怖いのは、誰かに言われるわけではないけれど、自分の中で強迫観念的に強くなっていくことです。

三宅:そうなんですよね。だから、本書にあったモバイルプランナーも、真面目にやりすぎていなかったら、そんなに危ないものじゃないと思うんですよ。そうした真面目さを、本も含めた「ノイズ」が解毒できないかなと、最近は考えています。

「受験に勝つためにSNSをやめました」

舟津:今聞いていて思い出したことがあります。SNSネイティブな若者たちがSNSにどっぷり浸かっているのは間違いないのですけど、「受験のときにはSNSをやめた」という話もよく聞くんですよ。そういう話を聞くと、真面目だなと感心します(笑)。これはある意味でノイズを排除しているわけで、立派といえば立派です。でも、受験で他のものを一切排除できたから今後も同じようにできるし、しないといけないと考えるのは、危なっかしい気がします。

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