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京王新線「新宿の隣」初台駅が放つ独自の存在感 開業時は「改正橋駅」、名前も場所も変わった

東洋経済オンライン / 2024年7月25日 7時30分

2代目初台駅は、2024年春に惜しまれつつ終了したNHK総合テレビの人気番組「ブラタモリ」で紹介されたことを、覚えている人もいるだろう。現在も島式ホームは残っており、トンネルの中なので暗いものの、車内からも見ることができる。

ただし2代目は、1978年までの14年間しか存在しなかった。高度経済成長で郊外の人口が爆発的に増加するのに対応して、京王線は都営地下鉄新宿線との相互乗り入れを決定し、新宿―笹塚間の複々線化を決断したからである。

京王電鉄広報部によると、最初から地下での複々線というプランではなかったようだ。

「当初、甲州街道下の新線は初台駅の先で在来線に接続し、そこから先は高架とする計画でしたが、沿線住民から日照権や騒音などを理由に地下化が強く要望され、幡ヶ谷駅の先で在来線と合流し、高架の笹塚駅に至る形になりました」

つまり初台駅は現在の姿で考えられたものの、幡ヶ谷駅は地上のまま残る計画だったということになる。

2代目では島式だった地下ホームは、上下2層式に姿を変えた。初台交差点は甲州街道がアンダーパスする構造なので、幅に余裕がなかったためと思われる。広報部からはこの区間の工事について、興味深い話を聞くことができた。

「京王新線の建設と首都高速4号新宿線の工事が重なったことから、建設工事は首都高速道路(当時は公団、現在は株式会社)に委託しました」

『首都高速道路公団三十年史』を見ると、4号新宿線は東京オリンピックに合わせて都心環状線から初台交差点の手前まで開通した。その後高井戸まで延伸し、中央自動車道と接続する工事が、下を走る甲州街道の立体交差工事と合わせて行われるので、京王新線の建設を委託したようだ。

地上には超高層ビル

新国立劇場と東京オペラシティはその後誕生した。

まずオペラ、バレエ、ダンス、演劇という現代舞台芸術のための舞台として、この地にあった東京工業試験所の跡地に新国立劇場が建設されることになった。ここで隣にあった京王電鉄の観光バスセンターの一部が、新国立劇場の敷地にかかることがわかった。

そこで京王電鉄では、残りの土地の活用を周辺の民間地権者と協議し、共同でビルを建てることにした。これが東京オペラシティだ。建物は新国立劇場と一体化していて、オフィスビルがメインだがコンサートホールやギャラリーもある。

ここまで読んできた方は、地上時代の初台駅の面影は何も残っていないと思うかもしれないが、現地を訪れると、そうでもないことを知ることになる。

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