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五輪で物議「マリー・アントワネット」名言の真偽 「パンがないならお菓子食べれば~」は捏造?

東洋経済オンライン / 2024年7月29日 15時30分

パリ五輪開会式の様子(写真:L'EQUIPE/アフロ)

パリ五輪がいよいよ開幕した。7月26日(日本時間27日)に行われた開幕式では、その奇抜な演出に注目が集まり、いきなり大きな物議を醸すこととなった。

18世紀のフランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットを想起させるドレス姿の女性が、かつてアントワネットが幽閉されたコンシェルジュリーという牢獄で、ギロチンで切り落とされたかのような自らの首を持って登場。生首が歌い出したかと思うと、演奏の終盤には真っ赤な紙テープが空に舞い、建物が赤く染められるという衝撃的な展開が待ち受けていたのだ。

そんな「嫌われ者」のマリー・アントワネットといえば、「パンがないのなら、お菓子を食べればいいじゃない」という空気の読めない言葉がよく知られている。だが、偉人研究家の真山知幸氏によると、この言葉は捏造された可能性が高いという。『ざんねんな偉人伝』を一部抜粋・加筆・再構成し、ことの真相に迫る。

オーストリアからフランスに輿入れ

マリー・アントワネットは1755年、オーストリアの女帝、マリア・テレジアの15人目の子どもとして生まれた。

【画像】マリー・アントワネットの名言は嘘だった?カギを握るルソーの言葉。画像はルソーの肖像画

当時のオーストリアは、プロイセンの脅威から、フランスとの同盟を強めようとしており、そのために、アントワネットがブルボン家へと嫁ぐことになった。いわゆる政略結婚である。

アントワネットは14歳のときに、15歳のルイ16世と結婚し、オーストリアからフランスに輿入れすることになった。

だが、夫婦仲はそんなによくなかったようだ。結婚当時、ルイ16世が性的不能に陥っていたため、アントワネットは寂しさを紛らわすように、仮面舞踏会で踊り明かしていたという。

王妃に似つかわしくない奔放で享楽的な性格を持っていたアントワネットは、母・マリア・テレジアを大いに悩ませていた。娘をたしなめる母の手紙も多く残っている。

マリー・アントワネットといえば、太陽王・ルイ14世の「朕は国家なり」と同じく、いかにも彼女らしい発言として広く知られている名言がある。フランス革命が起きる前、食糧難に苦しむ民衆に、彼女は不思議そうに、こう言い放ったというのだ。

「パンがないのなら、お菓子を食べればいいじゃない」

フランス語では“Qu'ils mangent de la brioche”。ブリオッシュ(brioche)とは、バターと卵を多く使ったパンのこと。パンの上にまた小さなパンを乗せるというダルマ型で、中世ヨーロッパではお菓子という扱いだった。苦しむ民衆に対してこの言い草は、いかにも浮世離れしたアントワネットらしい、常識知らずの言葉に仕上がっている。

ルソーの『告白』からわかった「真実」

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