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紫式部「恥さらしと言われた宮仕え」決断した背景 道長はどう考えていた?紫式部の彰子への思い

東洋経済オンライン / 2024年8月3日 12時30分

亡くなった後も、一条天皇は定子に思いを寄せていました。そのため、一条天皇と彰子の間にはなかなか子ができませんでした。

彰子が懐妊するのは、入内から9年を過ぎた頃なのです。彰子には、出産の重圧というものが、かかっていたでしょう。それにもかかわらず、そのような素振りを見せない中宮・彰子。紫式部ならずとも、彰子の姿に感動するのではないでしょうか。

だからこそ、紫式部が「つらい人生の癒やしには、求めてでも、このような方にこそお仕えするべきなのだ」と『日記』に書いたのは、言葉だけの追従ではないと思うのです。

さて、娘・彰子が男子を出産するか否かは、道長にとっても大きな関心事でした。娘が男子を産めば、その子はいずれ天皇に、そして自らは外戚(母方の親戚)として権力を振るうことができるからです。

彰子の安産を祈る紫式部

そうした事情もあり、土御門殿では、夜明け前から、僧による祈祷が始まっていました。僧侶たちは、我も我もと声を張り上げ、祈祷する。その声は「ものものしく厳か」だったようです。

僧侶の祈祷の声を聞きつつ、紫式部も、主人・彰子の安産を心の中で、祈っていたかもしれません。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

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