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宗谷線から日豊線まで、全国「峠越え」鉄路の記憶 勾配とカーブ続く「難所」に挑んだ機関車の力闘

東洋経済オンライン / 2024年8月3日 7時30分

山陽本線・瀬野―八本松間の「瀬野八越え」は1894年に開通した。この区間、とくに上り線は瀬野駅から八本松駅に向かって22.6‰の勾配が続き、貨物列車の最後部には補助機関車が付き、蒸気機関車時代は強力なD52形が使われていた。国鉄時代末期からは赤い塗装のEF67形が補機として活躍。同形式が2022年3月に引退してからはEF210形300番代が補機を務めている。

日本各地の峠越えの鉄道

日本の鉄道はその多くが山間部を走るため、峠越えの鉄道は「三大区間」に限らず全国に数多く存在する。その中で代表的な峠越え(勾配区間)を、廃止路線を含めて筆者の取材の思い出とともに列挙してみよう。

まずは北海道。宗谷本線の蘭留―和寒間には「塩狩峠」が行く手を阻んでいる。峠は天塩川水系と石狩川水系の分水界上にあり、サミットの塩狩駅まではカーブと20‰の勾配が続く。

明治時代の1909年2月28日、走行中の旭川行き列車の最後尾客車の連結が外れて逆走し暴走を始めた。満員の乗客に死が迫るそのとき、鉄道職員の長野政雄が線路に飛び降り、その身体で車輪を止め、自らの命と引き換えに乗客の命を救った。この事故は作家三浦綾子が小説化して映画化もされた。塩狩駅近くには殉職した長野政雄の顕彰碑と塩狩峠記念館がある。

石北本線の留辺蘂から生田原にかけては「常紋越え」という急勾配区間があり、とくに留辺蘂からサミットの常紋信号所まではSL現役時代に鉄道ファンが多く訪れた。筆者はD51形の現役時代に常紋信号所(当時は有人駅)で撮影した体験がある。現在ではDF200形の牽く貨物列車「タマネギ列車」が人気を集めている。

長万部から小樽までの倶知安経由の函館本線は「山線」といわれ、その名の通り4つの峠が存在する。長万部から熱郛駅を過ぎると最初の峠「目名峠」、倶知安から小沢にかけては「倶知安峠」、その先に「苗穂峠」、さらに余市から小樽間は「オタモイ峠」だ。

かつてはこの路線をC62形重連やDD51形重連が牽く急行「ニセコ」や、D51形の牽く貨物列車が豪快に峠に挑んでいた。現在、倶知安を経由して札幌まで北海道新幹線の延伸工事が進んでいるが、その開業時には「山線」も姿を消すことになる。

SLの名所が多かった東北の峠越え

東北地方の峠越えで有名なのが花輪線の「龍ヶ森越え」である。松尾八幡平―赤坂田間の12.2kmは最急勾配が33.3‰もあり、カーブも続く花輪線最大の難所であった。ここを8620形が三重連で驀進する姿は圧巻だった。サミットの龍ヶ森駅は現在「安比高原駅」に名を変え、気動車が急勾配に軽やかなエンジン音を響かせている。

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