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宗谷線から日豊線まで、全国「峠越え」鉄路の記憶 勾配とカーブ続く「難所」に挑んだ機関車の力闘

東洋経済オンライン / 2024年8月3日 7時30分

青森県と秋田県の県境を分ける奥羽本線の「矢立峠」は、電化前はD51形が碇ケ関駅から後部補機を従えて三重連で峠に挑んだ。旅客列車はC61形が電化直前まで客車を牽引して峠を往来していたが、1971年8月に秋田―青森間の交流電化が完成。同年9月26日にC61形、D51形の定期運用は終了した。

岩手県釜石線には「仙人峠」が立ちはだかっている。釜石を出た列車は勾配区間に入り釜石鉱山の拠点である標高約255mの陸中大橋を目指す。この駅を出て線路は半径250mのオメガカーブがあり、これは勾配を少しでも緩和するため距離を稼げるようにΩ形に線路を敷いたものだ。陸中大橋―上有住間7.6kmは釜石線最大の難所であった。2023年まで運行していたC58形の牽く「SL銀河」は、この峠越えで迫力ある姿を見せていた。

本州での峠越えの白眉は上越線の「上越国境越え」であろう。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」と川端康成の『雪国』の冒頭に描かれている、群馬・新潟県境の谷川岳を貫く全長9702mの清水トンネルが完成したのは1931年9月。当時日本最長だったこのトンネルの開通により、高崎―宮内間が全通した。1967年9月には全長1万3500mの新清水トンネルも完成し、上越線は全線の複線化が完了した。

当初から水上―石打間は電化されており電気機関車が活躍したが、この区間用の補機として投入されたのがEF16形だ。EF15形を改造した機関車で、奥羽本線板谷峠と上越線で使われた。奥羽本線では1964~1965年にかけて当時新型のEF64形に置き換えられ、上越線に移籍。上越線では1980年代にEF64形1000番台に置き換えられるまで活躍を続けた。

D51形が活躍した中央本線や関西線

そんなEF64形の活躍の場といえば、中央本線の小仏峠、笹子峠、鳥居峠が挙げられるが、電化前はD51形による峠越えの歴史がある。

中央本線の列車が乗り入れる篠ノ井線の「姨捨越え」は根室本線の狩勝峠越え、肥薩線の矢岳越えと共に「日本の車窓三大風景」と言われている。善光寺平から標高551mの山の中腹に位置する姨捨駅へは、かつてはD50形やD51形といった強力な蒸気機関車が急勾配に挑んでいた。

勾配区間にある姨捨の駅舎はスイッチバック構造で、普通列車は水平区間のホームに停車するが、特急「しなの」や貨物列車は勾配区間を通り抜けていく。貨物列車を牽引する機関車は「ブルーサンダー」ことEH200形で中央線、上越線などの山岳路線用に開発されたハイパワー機関車だ。姨捨越えを行くEH200形は見応えがある。

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