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「高校浪人」挫折した彼が"世界王者になった"ワケ ベンチプレスで世界一になった彼の波乱な半生

東洋経済オンライン / 2024年8月4日 8時0分

中学に入ってからも、人生に勉強は必要ないと思ってしまい、宿題をしなくなり、授業中にグラウンドにいたり、学校を抜け出してしまうこともありました。グレたわけではないそうですが、「先生からしたら、隠れ不登校扱いでしたね」と当時を振り返ります。

進路選択の時期にみるみる自信を喪失

勉強に興味を持てなくなった山下さんですが、小学校でやっていた野球は、中学に入ってからも続けました。平日は部活動、土曜日は部活が終わってから地域の軟式の野球チームの練習に参加していました。

「地域の野球チームも1年生のときからずっとレギュラーでしたし、部活動のほうでは2年生から4番を任せてもらいました。強いチームではなかったのですが、私自身うまかったので楽しかったですね。部活で大阪府の大会にも出られたし、チームの中の有力選手としてその出場に貢献できたというのも、自分の中で優越感を保ててよかったです」

有力選手だったため、いくつかの高校からもスポーツ推薦をもらっていましたが、中3の進路選択の時期に強豪校の練習を見に行き、みるみるうちに自信を喪失してしまいました。

「とてもじゃないけどレギュラーになれる感じではなかったです。部員が100人いて、1軍と2軍に分けられているところで競争させられるわけで、これで3年間を過ごせる自信がありませんでした。試合に出られない状態が続くなら、公立で野球部が強いところに行ったほうが試合に出られると思い、当時、大阪府のベスト8に残るほど強かった東大阪市立日新高等学校の商業科を目指して受験勉強しました」

ところが、勉強を拒否し続けてきた山下さんは、アルファベットも書けなかったようで、近畿圏最大規模の模試である五ツ木模試で、偏差値32を取ってしまいました。

「私学の野球部の誘いを全部断ったのに、この成績だったので、進学できるのかどうか、親もすごく心配していました。さすがに私もこの結果ではまずいと思い、親にお願いして夏休みごろに個別指導の塾に入りました。受験するころには偏差値50まであげて、ギリギリ合格することができました」

「授業プラス4時間の自主勉強を7カ月続けた」と語る山下さんは、努力の甲斐あって東大阪市立日新高等学校に入ります。しかし、ここで彼は自身の野球人生最大の挫折に直面することになりました。

PL学園にボコボコに負けて絶望

「高校に入ってからは野球部に入り、野球に打ち込みました。朝練もあるので家を6時に出て、7時から練習し、授業が終わってから毎日夜の9時まで練習していました。家に帰ったら10時を過ぎていましたね。無理して入った学校だったのに、野球部の練習が過酷すぎて一切勉強できず、テストは全部20~30点くらいでした。順位はクラス40人のうちで39番くらいでしたが、1人は不登校だったので実質最下位でしたね」

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