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「高校浪人」挫折した彼が"世界王者になった"ワケ ベンチプレスで世界一になった彼の波乱な半生

東洋経済オンライン / 2024年8月4日 8時0分

勉強やほかの生活を犠牲にして野球に打ち込んだ山下さんは、部員が30名いる環境でも、1年生の夏から背番号をもらってベンチ入りし、3年生が引退してからは試合に出るようになります。

しかし、彼は9月の秋の大会が終わった途端、野球部を退部する決断をしました。

「秋の大会で、甲子園常連校のPL学園と対戦したのですが、そこでボコボコにされて負けたんです。PLの選手は次元が僕らよりも3段階くらい上で、練習量ではどうにもならない実力の違いを感じました。『こういう人たちが甲子園に行くんや……』と絶望してしまって、野球を辞める決断をしました」

才能の違いを感じ、ずっと続けてきた野球部を辞めた山下さんは、学校に行かなくなり、バイクの免許を取りに行くなど、しばらくは遊んでいたそうです。

「何もやる気が起きなくなりました。小学校や中学校では留年がなかったので、学校に行かなくてもなんだかんだで卒業できると思っていたのですが、1月くらいになって本当に上の学年に上がれないと先生に教えてもらいました。そこで親とも相談して、2月に入ったころに高校を辞めることにしました」

高校を辞めた後の山下さんは、これからの人生をどうするか、2択を迫られます。

「1つは、僕の親戚がやっていた建設会社に就職させてもらうという選択肢です。でも、毎朝5時に起きて炎天下の中で仕事するのは、当時16歳の僕には想像しただけで絶叫ものでした。

だから、『家から通える私学の学校を探しなさい』と親にもう1つの選択肢を提示してもらったんです。自転車で通える範囲で5〜6校あったので、自分で願書を取り寄せて、中学校まで行って先生にハンコをもらい、いろんな高校に電話して問い合わせました。退学歴のある僕はほとんどの学校から受験を断られたのですが、金光藤蔭高校だけは、『一度筆記試験と面接をしましょう』と言ってくれたんです」

高校浪人でとにかく必死に勉強する

ギリギリのところで望みをつないだ山下さんでしたが、入学式の4日前、3月25日の筆記試験と面接で受からなければ受け入れてもらえません。この高校浪人の2カ月の期間、とにかく山下さんは必死に勉強しました。

「今まで本当にどうしようもない人生を送ってきたのですが、この2カ月の間に必死に勉強しようと思い、学校の過去問や、出そうな問題を買い込んで、全部やりました」

もう一度高校に入り直すことになれば、周囲の同級生はみんな1歳年下になります。10代の1年の差は大きく、周囲と年齢が違うことを気にする人も多いはずですが、山下さんは特に気になりませんでした。

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