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紫式部も予言「清少納言の末路」酷すぎる噂の数々 なぜ式部はこんなにも罵ったのか?その理由

東洋経済オンライン / 2024年8月4日 10時0分

清少納言ゆかりの地、今熊野観音寺(写真: legao / PIXTA)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第30回は、清少納言に関するひどい噂の数々について解説する。

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紫式部が清少納言を罵ったワケ

大河ドラマ「光る君へ」では、仲睦まじい友人同士として描かれてきた、まひろ(紫式部)とききょう(清少納言)だが、第29回「母として」(2024年7月28日放送分)では、2人の意見が衝突。やや険悪なムードとなった。

【写真】酷い噂の数々が残る清少納言。写真は清少納言ゆかりの、壷阪寺。

2人の関係性は実際どうだったのか。『紫式部日記』で、紫式部が清少納言を次のように辛辣に批判していることは有名だ。

「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」

「したり顔」は「得意顔」、「さかしだち」は「賢い」「利口」という意味になり、以下のような意味合いとなる。

「清少納言は得意顔をして、偉そうにしている人。利口ぶってやたらと漢字を書き散らしているけれど、よく見たら間違いも多くて、まだまだ足りないところだらけ」

ずいぶんな言われようだが、2人に面識があったという記録はない。宮仕えをした時期もズレているため、生涯を通じて顔を合わせることはなかった可能性も高い。

だとすれば、なぜ紫式部はあれほど清少納言を批判したのか。一説によると、紫式部の亡き夫・藤原宣孝が参拝のときにまとった派手な服装を、清少納言が『枕草子』で「これはあはれなる事にはあらねど」(趣があることではないけれど)と、悪く言ったからではないかとも言われている。ただ、激怒するほどの悪口ではないだけに、真相はさだかではない。

「この先ろくなことがない」と不吉な予言

紫式部による清少納言の批判は、まだまだ続く。

「かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは」とし、「人より優れていようと思いたがる人は、必ず失望し、その将来はただ嫌なことばかりになり」と、自信ありげな清少納言の限界を示唆。さらにこう書いている。

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