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「引きこもりの男性」を別人に変えた小さな習慣 92歳のシスターが説く「足るを知る」ことの意味

東洋経済オンライン / 2024年8月7日 14時0分

「今よりもっとお金があれば、きっと幸せになれるのに……」

誰しも一度は、このように考えたことがあるのではないでしょうか。

多くの財産に恵まれている人、たとえば資産家や不動産王、アラブの石油王の中にも、こう考えている人は多いかもしれません。

日本には昔から「長者富に飽かず」ということわざがあります。「富んでいる人がさらにお金を欲しがるように、人の欲にはきりがない」というたとえです。なんだか皮肉な笑い話のようですが、一面の真理をついています。

いったいいくらあれば、人は幸せになれるのでしょうか。

もともと恵まれた境遇にいたのに、わざわざ全財産を捨てた、聖フランシスコという人がいます。

「信じられない」という声もあるでしょう。ですが、物質的に満たされていることと、心が満たされていることは必ずしも一致するわけではないことが、フランシスコが選んだ行動の背景にあります。

フランシスコは1181年、イタリアの富豪の跡とりとして生まれました。贅沢三昧で放蕩を尽くした末に、戦争におもむき、1年の投獄生活を経て、大病にかかってしまいます。そのような挫折を経て、彼は神の声を聞きます。

「貧しい者、打ち捨てられた者の友として生きよ」

24歳になっていた彼は巡礼し、物乞いをする身となります。

そのような生活を通し「足るを知ること、所有物を持たないということ。そうした清貧生活を営めること」に魅力を感じたのです。そして、修道生活へと入ります。

その後、彼にならって全財産をなげうち、貧者や弱者に尽くす人たちによって「フランシスコ修道会」が生まれます。それほど、彼は多くの人たちに愛されていたのです。

もしあなたが、「今よりもっとお金があれば幸せになれるのに」という考え方をしているなら、ぜひ、聖フランシスコのことを思い出してみてください。そして、目先のお金ばかりを追い求めているうちは、本当の意味で「心が満たされること」は永遠にない、私はそう思います。

お金は道具であり手段。量より使い方が幸せを決める

もちろん、お金は生きていく上で欠かせないものであり、とても便利なものには違いありません。ですが、目先のお金ばかりを追いかけていると、人生の中で「木を見て森を見ず」ということになりかねないのです。

お金は幸せになるための最終的な「目的」ではありません。単なる道具、「手段」でしかないのです。

お金があるから幸せなのではなく、お金を使うことによって、周りの人を喜ばせたり、満足させたりできたときに、初めて幸せだと思えるのです。目的と手段を取り違えては、おかしなことになってしまいます。

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