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人が苦しむのは「自分が世界の中心」と思うから 姉を亡くした古舘伊知郎氏が目覚めた仏教の教え

東洋経済オンライン / 2024年8月9日 15時0分

佐々木:人は本能的に、自分を中心にすべての物事を捉えます。すなわち、「私の都合」ですべてが動いているのだと自分勝手な世界観を抱き、思いどおりに動かないと裏切られたと不満を募らせるのです。しかし、実際はこの世は縁起の法則で動いていますから、私の都合など関係ありません。「私がこの世界の中心」と考える過大な「自我」が苦しみを生み出すのです。これを「一切皆苦」と言います。

古舘:すべての苦しみは自分の心が生み出しているということですね。

佐々木:はい。自分という実体は存在しないのですから、何かを手に入れようとする欲望も、「私はこうあらねばならない」という自分に対する執着も持つ意味がなくなります。そのすべてを捨てた先にあるのが「涅槃寂静」の世界です。「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」、これらをまとめて「四法印」と言います。仏教の基本となる法則であり理念です。

古舘:涅槃と聞くと「死」と結びつけてしまう人が多いと思いますが、生きていても悟った状態であれば涅槃ということですよね。

佐々木:あらゆる煩悩や執着を離れて、真に心安らかな境地を涅槃と言います。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた段階を「有余涅槃」、寿命が尽きて亡くなり、2度と生まれ変わらなくなった状態を「無余涅槃」と言います。涅槃寂静こそが仏教の最終ゴールなのです。

釈迦は努力の果てに悟りを開き、有余涅槃の状態となりましたが、それは別の言い方をすると、自分自身の苦しみを消し去るという最終目標を達成したということです。最終目標が達成されたのですから、そこから先はもう何もするべきことはありません。あとは苦しみの消えた状態でただ一人、心安らかに寿命が来るまで生き続け、そのまま静かに死んでいこうと考えました。

じつは、ここに仏教の原点があります。釈迦の仏教は人助けを目的とする宗教ではないということです。自分自身が苦しみから解放される方法を考え、そのために自分の心を自分で改良していくというのが仏教の基本構造なのです。

古舘 伊知郎:フリーアナウンサー

佐々木 閑:花園大学特別教授

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