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花山院を襲った「道長の甥たち」2人の異なる運命 呪詛疑われた伊周と、大宰府に向かった隆家

東洋経済オンライン / 2024年8月11日 10時0分

このときに、隆家は源経房や藤原兼隆とともに、華美な車を奉じて、道長を戸惑わせたという。型破りな性格は相変わらずだったようだ。

そんな隆家を悩ませたのは、眼病である。角膜の突き傷から細菌に感染し、化膿を起こしてしまったらしい。道長が長和2(1014)年1月10日の日記で、「去年の突目により、この何日か籠居している」と記している。

『小右記』によると、病状に苦しんだ隆家は、実資に相談したという。「九州の大宰府に宋の名医がいる」と知り、隆家は大宰権帥への任官を望み、それが実現することとなる。

実のところ、実資は「三条天皇は隆家の希望を汲んでくれそうだが、道長が妨げるのではないか」と展開を読んでいたようだ。この頃、道長は三条天皇と対立を深めていたことから、三条天皇が懇意にした隆家のことも警戒したらしい。

こんな逸話もある。道長が病におかされていたときのことだ。「道長の病を喜んでいる公卿が5人いる」と耳にすると、道長は「そんな噂は、隆家を除いて、信用していない」と口にしたという。

隆家をそれだけ警戒しながらも、望みを受け入れて大宰権帥としたのは、道長が隆家を都から遠ざけようとしたのではないか……とも言われている。

大宰府で待ち受けていた「未曽有の事態」

道長の真意はともかく、隆家からすれば、望み通りに大宰府にいくことが決まったのだから、万々歳だろう。だが、眼病を治したいがためのこの行動が、結果的に隆家に大きな仕事を課すことになる。

九州北部の大宰府管内に謎の武装集団が侵入。のちに「刀伊(とい)の入寇」と呼ばれる大事件が起きて、隆家はこれに立ち向かうことになったのである。

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
源顕兼編、伊東玉美訳『古事談』 (ちくま学芸文庫)
桑原博史解説『新潮日本古典集成〈新装版〉 無名草子』 (新潮社)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
倉本一宏『藤原伊周・隆家』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

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