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「臨月で被災」「分娩中に余震」「出産難民」の壮絶談 妊娠・出産中に被災した人の体験談から学ぶ

東洋経済オンライン / 2024年8月11日 12時0分

被災から1週間後に産気づき病院へ。病院の中は、緊急用電源を使用していたので、薄暗く、水やお湯もほんの少ししか使えない状態。「これで出産できるのだろうか」と不安で涙が止まりませんでした。ただ、病院がひとまず無事だったこと、よく知っている医師や看護師さんがそばにいてくれたこと、同じように入院した他の妊婦さんとはげまし合えたことは、心の支えになり、出産に向けて前向きな気持ちを取り戻すことができました。

余震が続き、ベッドも建物も揺れる中での出産。安産でしたが、帰宅後が大変でした。断水している中での水の確保、ガスがない中でのお湯の確保、買い物にさえ行けない状況の中で、夜中の授乳や震災後の部屋の片づけをしなくてはなりませんでした。

病院が被災、出産難民に

出産予定の病院が被災。遠方へ避難し出産難民になった。何度か断られた末、インターネットで探した病院で出産(24歳妊婦・息子2歳)

自宅と、出産を予定していた病院が被災。夫は災害時に職場から離れられない仕事だったため、2歳の息子を連れて東京の親戚の所に身を寄せることにしました。

本当は被害の少なかった実家に行くことも考えたのですが、実家は原発の避難区域からあまり離れていない場所にあり、放射能のことが心配で、故郷を離れることにしました。

親戚は皆温かく迎えてくれました。また、避難所で生活する人たちの姿をテレビで見ながら、暖かく食べ物のある環境で過ごせることに心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。その一方で、子どものいない家庭の中で、お互いに戸惑うことも多く、息子がドタバタ走り回ったり、大声を出したりすることで、お互い少しずつストレスが溜まっていくのを感じました。

親戚は「大変なときだから好きなだけいていいよ」と言ってくれたのですが、やんちゃ盛りの2歳の息子を静かにさせるのは難しく、非常時とはいえ、違う家族が一緒に過ごすことの難しさを実感しました。結局、元気で遊び回れるように、早々に家探しをはじめることにしました。

さらに、探さなくてはならなかったのは家だけではありません。出産する病院も見つけなくてはなりませんでした。夫がいない中、一人で不安になったのですが「私が笑顔でいなければ、息子も生まれてくる子どもも落ち込むに違いない」と自分を奮い立たせました。ネガティブな気持ちが顔を出す度に、息子の顔を見ながら、お腹をさすりながら、頑張りました。

ネット検索で病院を探し、口コミなどを参考にして候補を絞り、問い合わせたのですが、病院の窓口の人からは、「半年先まで出産の予約は受け付けられない」と言われました。

親身になってくれたのは…

保健所に相談すると、東日本大震災で避難してきていることを伝えるように言われました。改めて病院に「被災者で出産難民になっている」と伝えると、電話口に医師が出てくれて、出産させてもらえることになりました。震災から1カ月半が経っていました。

それから1カ月後、無事に男児を出産。2回目の出産でしたが、震災によってすべての予定が狂ってしまい、戸惑いの多い出産でした。

出産難民になったときは本当に不安でしたが、受け入れてくれた病院には感謝の気持ちでいっぱいです。親身になって話を聞いてくれた保健所の人、私たちを迎え入れてくれた親戚など、人の温かさをたくさん感じた数カ月でした。

生活が落ち着いてから、防災についても前向きに取り組むようになりました。あのとき、助かった命と生まれてきてくれた命を大切にしながら、頑張って生きていこうと思っています。

冨川 万美:特定非営利活動法人ママプラグ・アクティブ防災事業代表

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