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「推しの子」ヒットが私たちの不満を象徴する訳 選択の可能性が狭まる、不自由な現代を物語る

東洋経済オンライン / 2024年8月14日 10時0分

為五郎は、ある作家が「覗きは性行為」と思っていることについて真っ向から反論し、「性行為じゃないんだよ。覗きは自殺なんだから。自分の命を除くことなんだから」と「自分除き」であることを強調する(同上)。これを「転生もの」の構造に落とし込むと、スパイカメラのような存在として、「別の人生」「別の世界」に潜り込みつつも、移行先の他人の身体を盾に「見られずに見る」という享楽になるだろう。

推し活の本質は「推しの人生を生きる」こと

このような欲望は、リアリティ番組を支えている野次馬的な欲望にも通じるが、「転生もの」は当事者の内部に入り込みながら自己を透明化する。

筆者は、以前「推し活」ブームについて論評したことがある(「推し活ブーム」を鼻で笑う人に伝えたい社会変化)。「推し活」の本質は、「自分の人生」ではなく「推しの人生」を生きることにある。そこでは、自己が推しの一部となって消滅することこそが癒やしとなる。その究極の形態を作中で描いてみせたのが『【推しの子】』なのだろう。

実際に「別の人生」「別の世界」を切り拓くためには、多くの障壁や困難を乗り越えなければならない。けれども、「転生もの」のような物語であるならば、リスクを感じることなく、「別の人生」「別の世界」を無責任に漂うことができる。それだけ私たちは少しでも現状に対する不満や疲労を緩和し、自己を透明化するツールを必要としているのかもしれない。

それは、まるでインスタントなマルチバース(multiverse=「多元宇宙」のこと。私たちのいる宇宙以外に観測することのできない別の宇宙が存在しているという概念を示す科学用語)体験のようである。おそらく「転生もの」は、ありとあらゆる社会経済的な影響を責任転嫁され、抱えきれないほどの重みで疲弊した自己を、ほどよく中和するセラピーの一種になっている。

さまざまな点において選択の可能性が狭まり、人生がますます不自由に感じられる中で、決して来世に望みを託すではなく、現世の転生譚を消費することで「私」の負荷を軽減し、日常を肯定できるよう心理的な回復を図っているのである。

真鍋 厚:評論家、著述家

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