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子を亡くした女性にブッダが"冷たく"接した理由 「諦める」は、仏教では「明らかに見極める」

東洋経済オンライン / 2024年8月15日 17時0分

釈迦が苦行をやってみて失敗したというエピソードは、とても重要です。「やってみたけどダメだった」経験があったからこそ、苦行では本当の安楽は得られないと釈迦は確信したのです(写真:utah_51/PIXTA)

釈迦(ブッダ)はなぜ、子どもの遺体を抱えながら「この子を生き返らせてください」とすがる女性に“冷たく”接したのか? 40代で仏教に目覚めた古舘伊知郎氏と、釈迦仏教の第一人者・佐々木閑氏との対話を通じて、ブッダの逸話「ゴータミーの芥子」の意味について考える。

※本稿は、古舘伊知郎・佐々木閑著『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』より一部を抜粋・編集したものです。

真理を理解するには実体験が必要

古舘:釈迦の仏教は神を想定していないから「信じる、信じない」ではなく、この世の真理にふれさせていただいているということですね。

佐々木:ですから私は仏教に対して「信仰」という言葉は使いません。いつも「信頼」と言っています。釈迦の存在のすべてを無条件に崇めるのではなく、釈迦が教えてくれた方法に従えば自分を変えることができる、ということを信頼するのが仏教を信じるということなのです。

古舘:苦行を6年も続けて失敗したうえで、ようやくこの真理にたどりついた。天才でも6年ですよ。

佐々木:釈迦が苦行をやってみて失敗したというエピソードは、とても重要です。もし苦行を経験せずに悟ったとなると、「それなら瞑想ではなく、苦行で悟るという道もあるんじゃないの?」という疑問が残ってしまいます。「やってみたけどダメだった」という経験があったからこそ、苦行では本当の安楽は得られないと釈迦は確信したのです。

古舘:そのあと釈迦はインド北部のベナレス(現・ヴァラナシ)近郊のサールナートで、最初の説法「初転法輪」を行います。もし、釈迦が悟りを開いた段階で、そのまま安楽に生きて、ひっそりと死んでいったなら、この説法もしないわけだし、仏教自体も誕生しません。でも、こうして広まったのは、釈迦の考えが変わったということですよね。

佐々木:釈迦の教えが広まるきっかけとなったのが「梵天勧請」というエピソードです。「梵天」とは当時インドで信仰されていたバラモン教の最高神で、「勧請」とは、お願いすることを意味します。釈迦の伝記によると、誰にも教えを説くことなく、静かに死んでいこうと考えていた釈迦に向かって、天から降りてきた梵天が、「世の中の苦しんでいる人たちのために、あなたの道を説き広めてください」とお願いをした、とされています。その願いを聞き入れた釈迦は、その後の自分の生き方を、「他の者たちに教えを説いて救う」という方向に変えたのです。 

古舘:仏伝は物語が本当にきちっとできていますよね。

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