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東大辞めてミネルバ大に進んだ彼の人生の選び方 日本で多少勉強ができたとしても外に出れば無力

東洋経済オンライン / 2024年8月17日 8時30分

高校2年生の時に転機も訪れた。学校の研修でシリコンバレーに行った際に、スタンフォード大学に通う先輩と言葉を交わす機会があった。学生が、積極的に授業に参加する様子が煙山さんの目にはまぶしく映った。聖光学院から海外受験をする生徒の割合は決して多くはない。だが学校側も煙山さんの意思を重視してくれたことで、この頃から海外進学も選択肢の1つになっていった。

一方、同時に打ち込んできたサッカーでは、コロナ禍で公式戦が行われないなど悶々とした日々が続いた。また、高校3年の9月に膝の半月板損傷という全治半年の大怪我も負った。サッカーでは不完全燃焼のまま、高校最後の年を終えることになる。

ここから本格的に受験を考える中、アメリカの大学を中心に願書を出した。

「アメリカの大学へ進学を希望した大きな理由が、サッカーなんです。アメリカの大学の多くが9月入学で、その頃には膝も完治しているはずだと。

あとはキャンパスツアーで見たスタンフォードの学生の目の輝きや情熱が忘れられなかった。

もう一つはアメリカのカレッジスポーツの注目度の高さと、その先にプロへの道も広がっていることも大きかった。勉強もサッカーもトップレベルでやれるのは魅力的だと感じたんです」

アメリカの大学と東大を並行して目指す

第1志望はスタンフォード大学に決まった。一方で、「授業を見学してこっちも面白そうだった」という理由で東大も受験した。聖光学院では煙山さんの年代は約70名が現役で東大合格を果たしたという。

煙山さんもその1人となるのだが、本格的に東大を目指し、対策に取り組んだのは共通テストのわずか2週間前だったという。なぜ合格できたのか。

「他の東大生と比べて学力が高いということはありません。ただ、俯瞰的に物事を考えることは得意でした。多くの受験生は親や大人に言われて勉強する人が多いと思うんです。

自分は『合格するためには何点必要で、そのためには限られた時間の中でどうしたらいいか』ということを常に考えていました。いろんなアドバイスも受けましたが、それは一意見でしかないと思っていたし、自分のことは自分が一番わかっている、という感覚はあったので、自ら取捨選択をしていました。

そこで塾に通うよりも、自分でやるほうが効率がいいと考えたわけです。だから、ゲームのプレイヤーみたいな視点である程度俯瞰して受験に臨みました。そうでないと、おそらく東大とアメリカの大学を同時に狙うことはできなかったと思います」

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